不登校だった私が大学院へ進学した理由
中学2年生の時に不登校になった私は、3回もの退学を経て大学を卒業した後、大学院へ進学しました。
そして、うつ病や子宮内膜症と闘いながら、昨年3月に修士課程を修了することができました。
学校に行けなかったはずなのに、なぜわざわざ大学院へ進学したのか―。
今回は、不登校だった私が大学院へ進学した理由について、ゆるやかに語っていきたいと思います。
社会学部との出会い
プロフィールの【略歴】をご覧いただけるとわかるのですが、私は最初、佛教大学(通信課程)の教育学部に在籍していました。
「不登校になった経験を持つ者として、改めて学校の存在意義を考えたい。」
そう思ったからです。
その後色々あって、3回生になるタイミングで通学課程へ転籍をしたのですが、そのときに所属学部を変更することができました。
べつに「教育学部はもういやだ!」みたいな思いがあったわけではなかったですし、教育学部での学びはすごく充実したものでした。
しかし、教育学部とは本来、教員を目指す人が行く学部です。
教員になるつもりが全くなく、むしろ教員に対して否定的な感情を抱いている私が在籍するような場所ではありません。
「いくら教育や学校に興味があるとはいえ、このまま教育学部に残って、教員志望の人たちと一緒に勉強を続けていいのかな……。」
そんな思いがあるのも事実でした。
ほかにもっと自分に合った学部はないのかと、一応、通学課程にある学部を一通り調べてみました。
そこで目に留まったのが、社会学部でした。
社会学部とは
「社会」というと、中学や高校の感覚で地歴公民をイメージしてしまいがちです。
しかし、大学の社会学部は違います。
「私たちが生きている社会そのものに焦点を当て、さまざまな社会問題や社会現象を研究していく学部」です。
そのため、教育や心理はもちろん、福祉や法律、メディアや歴史など、幅広い事柄を学ぶことができます。
卒業生の卒論題目を見ていると、色々なテーマがあってすごくおもしろそうでした。
アイドル、テレビ番組、フェス、漫画、スポーツ、雑誌、SNSなど……。
“社会”が研究対象なので、基本的には何でもありなんですよね。
しかもそのなかには、私が大大大好きな「東京ディズニーリゾート」をテーマにした論文もありました。
「この学部なら色んなことを学べそうだし、教育のこともまた違った視点から勉強できそう……!」
そう思った私は、社会学部志望で転籍試験の書類を提出しました。
社会学部の“ユルさ”に惹かれる
そんなこんなで、ほぼノリで社会学部に転籍をした私でしたが、授業は想像以上に楽しくて面白かったです。
そしてなにより、社会学部の先生方の雰囲気がものすごく私好みでした。
授業開始のチャイムが鳴って10分後くらいに、ふらーっと教室に現れ、マイペースに機材やレジュメなどの準備をし、独自のタイミングで授業を始める……。
そんな先生方も、少なくありませんでした。笑
そして、例え授業時間が大幅に残っていたとしても、その日の授業範囲を終えれば「キリがいいのでこれで終わりまーす」と、あっさり授業が終わります。
ほかの学部では考えられない話です。
けれど、そうやってマイペースに授業をする先生たちでも、授業はめちゃくちゃ面白かったんですよ。
ゆるっとした穏やかな空気感を保ちつつも、ハイレベルかつ興味深い話をたくさんしてくださいました。
もちろん、全ての社会学部教員がゆるっとしているかと聞かれれば、決してそうではないと思います。
しかし、そのメリハリある雰囲気や先生方の人柄に、私はとても惹かれる部分がありました。
私の人生を変えた「社会学原論」の授業
そうして徐々に社会学部に馴染んできた3回生の秋学期、社会学原論という授業を受けました。
「社会学とは、今ある世の中を相対化する学問です。」
一番最初の授業で先生がそう言った時、私はこう思いました。
「それって、私のためにあるような学問じゃない?」
私は今まで、世の中のありとあらゆる物事を相対化し、どんなことに対しても常に疑問を抱きながら生きてきました。
なぜ学歴は必要なのか。
なぜ結婚や出産はめでたいとされているのか。
なぜ校則を守らないといけないのか―。
原論の授業を受けたとき、私が今まで考えていたことはひとつの学問だったことをはじめて知りました。
そして、「もっと社会学を学びたい」と、次第に大学院進学を考えるようになりました。
研究者になりたい
とはいえ、院に進学したとして、その後どうするのかが問題でした。
私は、研究者(=大学教員)になりたいと思いました。
社会学部の先生方を見ていて「いつか自分もあんな人間になりたい」と、職業的にも人柄的にも憧れを抱くようになったからです。
それに、大学教員の仕事は、一般企業で働くよりもある程度の自由が利きます。
“直属の上司”もいないですし、長時間拘束されることもほぼありません。
本職と言える「研究」も必要最小限のノルマしかなく、自分の好きなときに、好きなペースで研究することができます。
そのため、「不登校の研究を蓄積し、不登校の研究者になることで、不登校にもっと寛容な社会を創りたい」と思ったんですよね。
しかし、ゼミの先生にはこう言われました。
「一生働かなくてもいいくらいお家がお金持ちならいいけど、そうじゃないならおすすめしないよ。」
というか、この頃に進路相談をした先生たちにはほぼ全員、研究者を目指すこと(=院進学)を止められました。
研究者の世界は、とても厳しいです。
大学院に進学して良い研究や論文を残せたとしても、実際に研究者や大学教員としてそれなりのお給料をもらえるようになる人は、ほんの一握りです。
そして、そこにたどり着くまでの苦労は、並大抵のものではありません。
そのことを誰よりもよくわかっているからこそ、先生方は簡単に院進学を勧めなかったのだと思います。
しかし、当時の私はこう思っていました。
「研究者になれるかなれないかは置いといて、向いてなくはないと思うねんけどな~😃」
(笑)(笑)(笑)
疑問と向き合い、答えを出す
幼い頃から色々ことに対して疑問を抱いていた私は、事あるごとに、周囲の大人にその疑問に対する答えを求めていました。
けれど、納得がいく答えをくれる大人は一人もいませんでした。
それどころか、誰も私の疑問を真正面から受け止めてはくれませんでした。
「そんな屁理屈ばっか言ってたら、この先、生きていけないよ。」
そう言われることも少なくありませんでした。
はあ?と思いました。
お前らいつも「世の中のいろんなことに対して疑問を持ちましょう」とかって子どもにほざいてるやんけ。
ふざけんな。まじふざけんな。
ほんまに、これやから大人は嫌いやねん!!!
そう思ってました。
私は次第に大人を頼ることをやめました。
そして、ネットや本を使って情報収集し、それらの情報を自分の経験や知識と照らし合わせながら、自分なりの答えを導き出すようになりました。
「不登校で家にいる間、何をしていたの?」と色んな人によく聞かれますが、私がやっていたことは主にこれです。
ただひたすらに数々の疑問と向き合い、ああだこうだ考え、答えを出す―。
その作業は、とても楽しかったです。
でも、よくよく考えてみると、その作業は研究そのものだとも言えます。
それが楽しかったということは、研究者になるのも悪くないのでは……?
そう思い、大学院進学へ向けて少しずつ動き出しました。
就活や今の日本の働き方にうんざりする
私が大学院への進学を決めた理由は、あと2つあります。
ひとつは単純に、就活や今の日本の働き方が嫌だったからです(笑)
実は私は、ほんの一瞬だけ、他の学生と同じように就活をしていました。
マイナビやリクナビに登録してみたり、インターンシップに参加したり、企業分析や自己分析をしてみたり……。
けれど、みんなで同じことをして、決まりきったルールの中で仕事を決めなければならない今の日本の就活スタイルは、私には耐えられませんでした。
おそらくみんな、多かれ少なかれ就活に対して疑問やストレスを感じてはいると思います。
でも私は、「嫌と思ったこと、おかしいと思ったことは絶対にやりたくない!!」という超頑固人間なので(笑)
みんなのように上手に就活をこなすことができませんでした。
そんな考え方をしているので、今の日本の働き方にも納得がいきませんでした。
理不尽に長時間労働を強いられ、異常なほど“ルール”や“時間”に厳しく、有給が取りづらい―。
「ここ(就活)をくぐり抜けたとしても、監獄のような場所で何の面白みもない仕事をし続けなくてはいけないのか……」と思うと、気が遠くなりそうでした。
「自由」をこよなく愛する私には、到底耐えられないだろうなと思いました。
一番の心配事だった体調
もうひとつの理由は「体調」です。
大学に入って体調が回復傾向にあったとは言えども、週5日、朝から晩まで8時間勤務できるだけの体力・精神力が私にあるとはとても思えませんでした。
「就活が嫌すぎる」とか、「今の日本の働き方はおかしい&耐えられない」とかいう以前に、とにかく自分の体調に自信を持てなかったのです。
それで不安になっていた頃に原論の授業を受け、「大学院に進学して研究者を目指す」という選択肢があることを知ったんですよね。
それゆえ、「将来を考えるための、そして体調を整えるための猶予期間として大学院進学を選んだ」という側面も、実はけっこう大きいです。
そんなこんなで
- もっと社会学を学んで不登校に寛容な社会を創る研究者になりたい
- 就活や日本の仕事制度から逃れたい
- 体調への不安をどうにかするための時間がほしい
という3つの理由から、私は大学院へ進学することになりました。
不登校だった頃の自分からは想像もつかない、冒険的な決断でした。
まとめ
本記事では、不登校だった私が大学院へ進学した理由についてお話しました。
いろいろあって研究者になることは諦めましたが(その理由はまたいつか記事にします)、大学院での学びや経験は、私の一生の宝物です。
学費はかかりますが、それ以上の価値があると個人的には思います。
大学院進学のきっかけを与えてくれた先生や、院進学を了承し、様々な面でサポートしてくれた両親には感謝してもしきれません。
この記事を読んでくださっている方の中には、将来に悩まれている方や、「自分の進むべき道が見つからない……」という方もきっといらっしゃると思います。
数ある選択肢・進路のひとつに「大学院進学」という道があることを、どうか、頭の片隅にでも入れておいていただけると幸いです。
学ぶこと、考えること、物事を追求することが好きな方は、研究者になれるかも……?