うつ病のリアル!うつ病発症までの経緯と初期症状を綴った体験談
「うつ病とは」「うつ病 症状」などで検索をかけると、出てくるのは医療機関の情報ばかり。
「経験した人にしかわからない情報やリアルな症状を知りたいんだけど~」と思ったことはありませんか?
私も、うつ病になった当初はそう思っていました。
そこで本記事では、3年前にうつ病を患った私の体験談をまとめてみました。
うつ病を患うきっかけとなった出来事が起きてから、病院で「うつ病」の診断が下りるまでの経緯を、当時の症状とともに詳しく綴っています。
うつ病の初期症状や経緯などを知りたい方々は、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
事の発端
うつ病を患うきっかけとなったのは、2020年の10月に起きた「とある人間関係のもつれ」でした。
詳しいことは言えないのですが、人生で一番大切な人(男性ですが、彼氏とかではないです)と大喧嘩をしてしまったんですよね。
そのことが本当に悲しくて、辛くて、苦しくて……。
その次の日から、人と会っている時以外はずっと泣いていました。
「人ってこんなに大量の涙を作れるんだ……」とびっくりしてしまうくらい(笑)とにかく泣いてばかりいましたね。
また、常に“心ここにあらず”な状態で過ごしていたので、車を運転中や歩行中に事故を起こしかけたこともありました。
今思えば、車の運転は本当に危なかったと思いますし、やめるべきでした。
大切な人と揉めてしまった悲しさ。
もう二度と会えない(かもしれない)辛さ。
傷つくことを言われてしまった苦しさ。
それも、もちろんありました。でも……。
世界で一番大切な人を傷つけてしまった(であろう)悲しさ。
大切な人にキツイ言葉を言わせてしまった自分の不甲斐なさ。
その方が、断然大きかったです。
そのため、この頃は、とにかく自分を責めまくっていました。
「今まで出会った誰よりも大切で、大好きな人だったのに、そんな人を傷つけて嫌な気持ちにさせてしまった私は人間失格だ……。」
そんなことを、ずーーっと考えていました。
とても辛い毎日でしたが、あまり人に知られたくない話だったので(他人から誤解されやすい関係性だったからです)、いつもと変わらない様子で過ごしていました。
我ながら、よく頑張っていたと思います。
うつ病の「芽」
事の発端から1ヶ月後(11月中頃)、当時大学院生だった私は、通学の帰りに激しいパニック発作に襲われました。
過呼吸や胸の苦しさ、強烈な不安感など……。
不登校だった高校生の時以来の激しい発作だったので、とてもびっくりしたことを覚えています。
それ以降、度々発作を起こすようになり、大学院を休む日が多くなりました。
発作以外にも、身体のダル重さや疲れやすさ、思考力の低下などの症状が見られるようになり、徐々に体調が悪くなっていきました。
しかし、この頃の私は、まさかその人間関係のもつれがここまで尾を引いているとは思っていませんでした。
辛かったのは事実ですが、「それが体調不良の原因になっている」という考えが全くなかったんですよね。
なので、明らかに調子のおかしい日が続きながらも、あまり深く考えずいつも通りに過ごしていました。
おそらく、このあたりで何かしらの手を打っていたら、少しは症状の悪化・長期化を防げたのではないかと思います。
症状の本格化
年が明けてから、一気に症状が悪化しました。
この時点での主な症状は以下です。
この頃の大きな変化としては、やはり、12時間以上の睡眠をとるようになったことでしょうか。
とにかく眠くて眠くて仕方なくて、ずっと寝ていた記憶がありますね。
自分でも驚くほどのスピードで体力と精神力が衰えていき、外出がしんどくなってきました。
そして、すべてのやる気と興味を失い、1日のほとんどをベッドの上で過ごすようになりました。
この頃になってようやく、この一連の不調の原因が昨年秋の人間関係にあることと、今の自分がかなりやばい状態であることに気づき始めました。おそいです……。笑
“うつ病のなりかけ”
さすがに危機感を覚えたので、高校時代にお世話になっていた心療内科の先生の診察を受けに行きました。
しかしこのときは、まだ症状が出始めて間もないこともあり、「適応障害ないしはうつ病のなりかけ」としか言われませんでした。
「あと2~3か月しても症状が良くならなかったら、正式にうつ病の診断が下りると思う」みたいなことを言われ、お薬を処方されずに帰されました。
しかし、その後も症状は改善することなく、日を重ねるごとにひどくなっていきました。
判断力が鈍って思うように物事を決められなかったり、自分の気持ちや行動をうまくコントロールできなくなったり……。
自分が自分じゃない感じで、今思えばちょっと「多重人格」ぽかった気がします。
そんな状況にイライラ・モヤモヤして、何度もパニック発作を起こしていました。
限界
桜が咲く頃には、私の身体はすでに限界を超えていました。
この頃にあらわれ始めた症状をまとめました。
とにもかくにも、かなり無理をしないと何もできない状態になっていました。
しかし“かなり無理をすれば”動けたので(笑)大学院には頑張って行っていました。
母の車で駅まで送ってもらい、這うようにして電車に乗り、パニック発作に耐えながら授業を受ける……。
今となっては、よくそんな状態で行ってたなと思います。
それでもやはり、しんどいことには変わりはありませんでした。
「死にたい。なんにもやりたくない。誰とも話したくない。私は病気。人の気持ちを考えられない最低最悪の人間。もう治らない……。」
そんなことを考えて、毎日のように泣いていました。
大学院休学を決めるまで
あまりにも症状が重くなってきたので、勇気を出して周りの人に相談しました。
しかし、誰も私の苦しみに寄り添ってくれず、余計にメンタルを病むようなことを言われました。
そんなことでメンタルやられるとかやばすぎ(笑)
なんでもっと相手のことを考えて行動できないの?
ただの情緒不安定やん(笑)
これらの言葉たちがきっかけで、ずっと抱え続けていた“自責の念”や“自己否定感”はどんどん大きくなっていきました。
そうこうしているうちに、パニック発作が限界を超え、大学院はおろかどこにも行けなくなりました。
近所に買い物に行くことや、ウォーキングに行くことすら困難な状況に……。
意を決して心療内科(初めての医院です)へ行ったら、あっさりとうつ病の診断が下りました。
そして大学院を休学することに決め、お薬の服用やカウンセリングなどを利用した本格的な「うつ病治療」が始まりました。
まとめ
本記事では、うつ病の初期症状や診断が下されるまでの経緯について、自身の体験談をもとに掘り下げてみました。
改めて「うつ病は恐ろしい」と思います。
いとも簡単に、人を地獄の果てに引きずり込む力を持っています。
ですが、こんなに色んな症状に悩まされていた私も、3年の時が経ち、徐々に症状が回復してきています。
(回復の過程や症状改善に効果があったことなどは、改めて別の記事で紹介予定です。)
だから、今この記事を読んでいるあなたもきっと大丈夫です。
ベタな言葉ではありますが、止まない雨はありません。
今はとにかく、できるだけ心身を休ませて、自分を労わりながら日々を過ごすことを大切にしてください。
そうすれば、いつかまた、心から笑顔になれる日が来るはずです。
陰ながら応援しています。