運営者プロフィール

yuki-yoshida

こんにちは!

「たんぽぽの栞」運営者・ゆきと申します。

小さな頃から、私は、生きるのがとても下手でした。

自分の気持ちを上手く伝えられなかったり、 人と関わるのが苦手だったり、 ちょっと動くだけですぐに体調が悪くなったり……。

とにかく不器用で、繊細で、誰よりも傷つきやすい。

一歩進んだら、その後に必ず二歩も三歩も下がってしまう。

どこにいても、何をしても、なぜか「ふつうに生きる」ことができない—。

下記の【略歴】をご覧いただけるとわかるように、なかなかにヘビーな経験をたくさんしてきました。

「私は生きる価値のない人間だ」

「社会からも人からも求められない、役立たずな人間だ」

そう考えることも少なくありませんでした。

しかしその一方で、こんな思いもありました。

「こんな私にも、生きる価値はあるはず」

「こんな私でも、社会や誰かの役に立てることが必ずあるはず」

深い絶望のなかで、わずかな希望を捨てられずにいたのです。

2023年3月に大学院を修了後、「これからどんな仕事をし、どんな人生を歩んでいくか」ということをずっと考えていました。

そんなときにふと思い出したのが、10代の頃からひそかに持ち続けていた、とある夢の存在です。

不登校になる少し前から、私は「いつか自分の人生体験を世の中に発信したい・悩んでいる人の力になる活動がしたい」と思っていました。

「もうこれ以上、私と同じような苦しみを抱く人や、悩み傷つく子どもが出ませんように……」

子どもながらに、同じような苦しみを抱えている人を救いたい気持ちがあったんですよね。

その後、不登校やうつ病をはじめとしたさまざまな“生きづらさ”出会い、その想いはより強固なものになりました。

しかし、その想いはずっと“夢のまま”でした。

「生まれてから一度も“生きづらさ”を乗り越えた経験がないにも関わらず、悩みを抱えている人たちに何かをするのはおこがましいのでは?」

そう思っていたからです。

生きづらさの“当事者”である限り、悩んでいる方々の心に響くような、何かを届けられるような活動なんてできるわけがない……」と。

けれど、最近になって、こう思うようになりました。

「“生きづらさ”の当事者だからこそ語れることや、当事者にしかできない活動もたくさんあるのでは?」

その考えに至ったとき、点と点が一本の線でつながったような気がしました。

「これこそが私の生きる道なのかもしれない」と、心から思いました。

そして、2024年6月。

この「たんぽぽの栞」というブログをスタートさせました。

ストレスだらけの現代社会。

私と同じような“生きづらさ”を抱えている方は、きっと想像以上にたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

当ブログに足を運んでくださった皆さまが、少しでも前向きな気持ちになれますように。

そして、少しでも未来に希望を感じられますように……。

「生きづらさの当事者」ならではの視点から、私らしく、ゆるやかに情報発信していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします!

Instagramのハイライトに、より詳しい自己紹介を綴っています。

ご興味のある方は、そちらも合わせてご覧ください!

略歴

幼少期~小学校

  • 幼稚園、小学校、町内の集まり、学習塾で“ライトないじめ”を受け、人間不信になる。
  • ライトないじめを知った両親や学校の先生たちの対応・言葉がけに傷つき、人間不信に拍車がかかる。
  • 小学校低学年のころから、謎の体調不良(腹痛や倦怠感など)に襲われることが多くなる。しんどさを抱えつつも、なんとか日常生活を送る。

中学校

  • 引き続き“ライトないじめ”や謎の体調不良に悩まされる。
  • 両親だけでなく、塾の先生との関係も悪くなる(傷つくような言動や“いじめ”と捉えてもおかしくないような言動が増える)。
  • 「家」「学校」「塾」という全てのコミュニティで居場所を失う。毎日の大半を泣きながら過ごすようになる。
  • 中学2年の3学期、諸々の苦しみが限界を迎えて不登校に。その後1年間は「支援室」という学内のカウンセリングルームに週2で通う。

高校

  • 謎の体調不良が悪化。過呼吸や不眠、拒食症、激しい耳の痛みなどに悩まされながら毎日を過ごす。
  • 全日制高校へ進学するも、2ヶ月で不登校へ逆戻り。1年の3学期に退学。
  • 通信制高校へ編入するも、数回しか通えず、在宅レポートの科目のみ単位を取得して退学。
  • 通信制高校で取得した単位と高卒認定試験(大検)を合わせ、高卒の資格を獲得する。

大学

  • 1年間の空白期間の後、短大へ進学する。しかし、1日しか通えず半年で退学。
  • テレビで偶然目にした「フリースクール特集」に触発され、佛教大学(通信課程)教育学部へ再入学。 学校教育や不登校について専門的に学ぶ。
  • 学友会活動やアルバイトを通じ、徐々に体調が回復する。
  • 3年次に佛教大学の通学課程へ転籍。同時に社会学部へ転部をおこない、より多角的に教育や不登校を考える。
  • 子宮内膜症や社交不安障害など、さまざまな新しい試練を乗り越えながら通学・卒業する。

大学院

  • 学びを追求するため、佛教大学大学院・社会学研究科社会学専攻に入学。
  • 入学して早々、子宮内膜症が悪化。人生初の手術入院を経験する。
  • 人間関係のもつれが原因でうつ病(+広場恐怖症)を発症。通学や外出はおろか、日常生活を送ることすら困難な状況となり、休学を余儀なくされる。
  • 一時は退学も考えていたが、必死の思いでなんとか復学・修了する。

大学院修了~現在に至るまで

  • 就労支援事業所に通うも、人間関係や体調の悩みを拭えず2か月で退所。
  • クラウドソーシングでwebライターの仕事をしながら、今後の生き方やキャリアについて模索する。
  • 「自分の体験を世の中に発信したり、誰かに光を届けたりする活動がしたい」という子どもの頃からの夢を叶えるため、ブログを開設。現在に至る。
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