精神疾患持ち&HSP&自律神経失調症でも仕事はできる?私のアルバイト(仕事)遍歴
複数の精神疾患、HSP、自律神経失調症……。
小さな頃からさまざまな生きづらさ・体調不良に悩まされてきた私にとって、「働くこと」はものすごくハードルが高いことでした。
しかし、そんな私でも、数多くの良いご縁に恵まれ、色々な種類の仕事を経験することができました。
そこで本記事では、生きづらさとともに生きてきた私のアルバイト(仕事)遍歴を紹介します。
「生きづらさを抱えているけれど、なにか仕事をしたい」という方へ向けてのアドバイスも合わせて綴っています。
「こういう仕事もあるんだ!」「こういう働き方もあるんだ!」など、なにかの参考になれば幸いです。
人生初のアルバイトは、TOEICの試験官&受付
人生で初めてアルバイトをおこなったのは、19歳の時でした。
せっかく入学した短大に通えず、「何か活動しなければ……」という使命感からアルバイトを探していたんですよね。
そんな時、母親の知人からの紹介で、TOEICの試験官と受付をやることになりました。
仕事内容は受験票の確認と、試験中の見回り、そして問題用紙の配布&回収。
マニュアル通りに動けば良いだけだったので、アルバイト初心者の私でも比較的ストレスなくできました。
また、1回あたり4~5時間の短時間勤務だったので、それほど負担なく働けたのも良かったです。
TOEIC、アルバイト初心者の方やブランクがある方におすすめだと思います。
地元のパン屋さんで接客業
短大を辞めて佛大の通信課程へ入学後、母親の友人から紹介してもらったパン屋さんでアルバイトをすることになりました。
最初のうちは接客やレジ打ちが死ぬほど嫌で、バイト前に過呼吸を起こしたり、微熱を出したりしたことも多かったです。
しかし、回数を重ねるうちに段々と慣れてきて、最終的には「接客楽しい!」「レジ打ち楽しい!」と思えるくらいまで成長しました。
(とはいえ、今となってはもう、接客は二度としたくないですが……笑)
人間関係のストレスがほぼなかったのも、楽しんで仕事ができた要因のひとつだと思います。
それでもやはり、私の場合は、1日4時間・週3日の仕事が限界でした。
他の人たちは、週4~5回、1日6~8時間平気で働いていましたが、私は体調的にどうしても無理でしたね……。
なので、3年半働いても“アウェー感”が消えなくて、それがちょっとしんどかったです。
記憶から消したい蕎麦屋
本当に一瞬だけなのですが、パン屋さんのバイトと並行して蕎麦屋さんでバイトしていたことがありました。
パン屋さんの“アウェー感”がいつまで経っても消えなかったので、ほかのアルバイトもしてみたくなったんですよね。
しかし、仕事内容がハードだったことや、オツボネ的存在のおばちゃんに過度な嫌がらせをされたことなどが影響し、わずか1か月足らずで辞めました……。
今思えば、様々な生きづらさを抱えた私にとっては相当しんどい仕事&職場環境だったと思います。
本当に、記憶から消したいバイトです(笑)
もし「体調やメンタル面に不安があるけど、勉強のために接客のバイトをしたい」という方がいらっしゃたら、こうお伝えしたいです。
「パン屋さんやケーキ屋さんなど、比較的ゆるやかそうなお店を選んで!!!」
オツボネおばちゃんがすべてを仕切っていそうな場所や、仕事がハードそうな場所は、絶対に選ばないようにしてくださいね。
聴覚障がい者を支援する学内アルバイト
大学4回生の春学期のみ、学内アルバイトをやっていました。
聴覚障がい者の学生と一緒に授業を受け、授業内容を文字起こししてノートに書き写す「ノートテイク」というお仕事です。
聴覚障害を持つ方と触れ合うのはこの時が初めてだったため、色んな驚きや発見があり、良い人生経験になりました。
個人的には、授業の空き時間を利用して、体調にさほど負担をかけずに働けたのも良かったです。
おそらく、どの大学にも学内でできるアルバイトがあるはずです。
お家が大学に近い方や、慣れた場所で働きたい方、授業の空き時間を利用してお小遣い稼ぎをしたい方などには特におすすめです。
一番良かった旅行会社の事務
大学4回生の秋学期は、旅行会社の事務バイト(データ入力)をやっていました。
同じゼミの友人が働いていたバイト先で、「人手不足だから来てほしい」と頼まれたのです。
人間関係はもちろん、仕事内容や職場環境もすべてが100点満点で、今まで経験した中で一番良いバイト先でした。
そのため、普段は週1~2回の4時間勤務だったのですが、一度だけ6時間勤務に挑戦してみたことがありました。
しかし、やはり途中で体調が悪くなってしまい……自分の体調の不安定さを改めて実感しましたね。
この頃には大学院への進学が決まっていたとはいえ、「大学院修了後、私は本当に一社会人として働いていけるのだろうか……」と不安になりました。
その後、こちらの会社はコロナの影響で休業を余儀なくされ、アルバイトを続けることができなくなりました。
おそらく、コロナがなければ、もう少し長くバイトを続けていただろうなあと思います。
どこもかしこも不採用
コロナ禍以降、そしてうつ病を発症以降は、アルバイトを全くしていませんでした。
しかし、うつ病になって1年後、「生きる理由を見つけたい」との思いから、久しぶりにアルバイトを探すことにしました。
いろんな求人に応募しましたが、「26歳大学院生」という肩書きとこれまでの学歴が影響し、どこもかしこも不採用。
「やっぱり私は社会に必要のない人間なんだ……死んだ方がマシなんだ……。」
そう思って更に病んでいた私を拾ってくれたのが、京都市内にある某高齢者施設でした。
「もうアルバイトなんてしない!」
その高齢者施設では、高齢者宅にお弁当を届ける配達サービスがおこなわれていました。
車を運転し、ご近所に住む高齢者に昼食・夕食を届けていくお仕事です。
仕事はとても楽しかったです。
20代の職員は私一人だったため、かなり可愛がってもらい、色々なことを親切丁寧に教えていただきました。
配達先の高齢者の方も、すごく優しい方が多くて嬉しかったですね。
お弁当を渡して「ありがとう」と言われる度に、「こんな私でも社会の役に立てるんだ!」と、自信になりました。
しかし、研修期間が終わって一人で配達するようになってから、立て続けに色んなトラブルが起きました。
トラブルというか、私の存在が気に入らなかったであろうスタッフさんや高齢者の方に嫌味を言われたり、怒られたりすることがめちゃくちゃ多かったんですよね。
「20代そこそこの若い女が一人で配達している」ということで、舐められていた部分もあったのだろうと思います。
それで体調を崩し、うつ症状がひどくなってきたため、限界を感じて辞めました。
今思えば、こちらも蕎麦屋と同じで、病み上がりの(というより、まだ病んでいる)人間が行くような場所ではなかったですね(笑)
あまりにも辛すぎて、「もう一生アルバイトはしない!」と思いました……。
クラウドソーシングでのWEBライター
お弁当配達のアルバイトをしてわかったことがありました。
それは、「私は外で働くことが向いていない」ということです。
人と関わることが苦手で疲れやすく、長時間外に出るとすぐに体調を崩してしまう―。
そんな特性を持つ私が、普通の人みたいに外で働くことは、ほぼ無理です。
(本当は、もっと早くに気づくべきでした。)
特に、うつ病を患ってからはその傾向が色濃く出るようになったので、「もう私は、在宅仕事しか無理だろうな……」と悟りました。
大学院修了後、「在宅で、自分の得意分野を活かせる仕事はないだろうか……」と色々な仕事を探しました。
それでたどり着いたのが、クラウドソーシングで見つけたWEBライターのお仕事でした。
時給に換算すると300~800円くらいの仕事だったのですが、在宅で、体調に負担をかけることなくできるお仕事は本当にありがたかったです。
何より、自分の好きなこと(文章を書くこと)をやりながらお金をもらえたのが嬉しかったですね。
今の事業にも確実に活きていますし、お給料以上の価値を得られたお仕事でした。
その他の雑多仕事
クラウドソーシングでは、WEBライター以外のお仕事も色々やっていました。
店舗や施設の在宅調査、アンケート回答、zoomでのインタビュー調査などなど……。
電話占いの鑑定を受けて、占い師の対応をレビューするお仕事もありました。
個人的には、それが一番おもしろくて楽しかったです(笑)
最近は時代の変化もあって、在宅で気軽にできる仕事が本当に多くなりました。
私は主にクラウドソーシングを利用していましたが、在宅のお仕事を探せるプラットホームはほかにもたくさんあります。
私のように「外で働くのはしんどいけれど、在宅でなら働けそう!」という方は、クラウドソーシングをはじめとしたプラットホームを利用してみるのも良いと思います。
想像以上に色々な仕事があるので、必ずなにか「これならできるかも?」「これちょっとやってみたいな~」と思える仕事があるはずです。
まとめ
本記事では、幼い頃からさまざまな生きづらさや体調不良とともに生きてきた私のアルバイト(仕事)遍歴を紹介しました。
コロナ禍を経て、日本の働き方はかなり変化したように感じます。
在宅勤務が当たり前になったり、「正社員」に縛られない自由な働き方をする人が増えたり、オンラインを利用した新しいビジネスが誕生したり……。
コロナ以前には考えなかった働き方やビジネスが、どんどん増えてきています。
それはある意味、「生きづらさを抱える私たちに有利な社会になりつつある」とも言えるのではないかな、と感じます。
今これを読んでいるあなたに、良いお仕事との出会いがありますように……。