子どもが不登校になる原因は○○!?元当事者・元研究者が不登校の“真実”を紐解きます

お子さまが不登校になった時、保護者さまが一番気になるのは「なぜ学校に行けなくなったのか」ということだと思います。
理由がわからないと不安になりますし、どう対処して良いかわからず余計に混乱してしまいますよね。
私は不登校の元当事者・元研究者ですが、その立場で主張したいのは「不登校になる子どもは、なんらかのストレスを抱えている」ということです。
そのため私は、お子さまが不登校になった時にまずやるべきことは「原因探し」ではなく「ストレスへの理解と探求」だと考えます。
そこで今回は、不登校とストレスの関係について、不登校の元当事者・元研究者という独自の視点からまとめてみました。
記事の後半では、中学2年生で不登校になった私が感じていた「さまざまなストレス要素」についても紹介しています。
お子さまの不登校で悩まれている方や、不登校のお子さまを支援されている方は、ぜひご一読ください。
不登校とストレスの関係
この章では、不登校とストレスの関係について、元当事者・元当事者の視点から掘り下げます。
お子さまの不登校を理解する“一助”となれば幸いです。
不登校になる=ストレスがある
不登校になる一番の理由は、お子さまが日常生活において何らかのストレスを抱えているからだと考えています。
学校生活、友人や教師との関係づくり、家庭環境、地域や習い事、学業面など……。
不登校になるお子さまは、それらの要素に何かしらの心の痛み・苦しみを抱えていると推測されます。
不登校の原因を探るのではなく「今現在、子どものストレスになっているもの・ことは何か?」を考えるー。
それが、不登校のお子さまに対して最初にすべきことだと思います。

不登校はストレスの“大噴火”
不登校は「ストレスの大噴火」だと思います。
どこにも吐き出せずに溜め込んだストレスが、ある日突然、何かのきっかけで“大噴火”するー。
その現象の具現化が「不登校」です。これは、ひきこもりなる方に対しても同じことが言えます。
- 友人と喧嘩をしてから学校に行かなくなった
- テストで悪い点数を取ってから学校に行かなくなった
そのような場合でも、その出来事はあくまでも“きっかけ”のひとつに過ぎないと考えるべきだと思います。
長年ため込んできたストレスが、たまたまそのタイミングで爆発しただけの可能性が高いです。
そのため、不登校のきっかけとなる出来事があったとしても、安易にそれを「不登校の原因」として結びつけないことが大切です。

ストレスが複数あるケースも
不登校を生み出すストレスは単一ではなく、複数の事柄が絡み合っているケースが多いです。
そのため、お子さまのストレスをなかなか特定できず、もどかしい時間を過ごす方もいらっしゃるかもしれません。
私自身も、学校生活や親子関係など、さまざまなストレスが絡み合っており、原因(=ストレス)の特定にはかなりの時間を要しました。
絡まった糸をひとつずつ丁寧に解くように、焦らずゆっくりとお子さまと向き合ってあげてほしいと思います。

“ストレスの正体”は本人もわからない
学校に行けなくなった理由やストレスの正体は、子ども自身もよくわかっていないー。
それは、不登校のお子さまを持つ保護者の方に一番知っていただきたい事実かもしれません。
私も、不登校を経験して数年間は、自分の身に何が起きているのかがよくわかりませんでした。
それらをすべて理解し「あの時の私は○○だったんだなあ」と言語化できるようになったのは、20歳で大学に入ってからです。
「本人すらも学校に行けない理由やストレスがわからない」ということは、一番の“不登校あるある”と言っても過言ではないように感じます。
焦らずゆっくり、お子さまの不登校を考えていくことが大切です。

体調不良は“ストレス放出”の証
不登校のお子さまの中には、腹痛や微熱、倦怠感などの身体症状に悩む方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私も数々の体調不良に悩まされていたのですが、今思えば「“身体症状”という形で心に溜まったストレスを放出していた」のだと思います。
- 何にストレスを感じているのか?
- なぜ学校に行くことができないのか?
それらを上手に表現できないがゆえ、心にあふれそうなストレスが「身体症状」となってあらわれているのです。
私は、自身の不登校を言語化できるようになって以降、長年付き合ってきた腹痛や吐き気の症状が消えました。
あまり心配しすぎずに、お子さまのしんどさ苦しみに寄り添うことを第一に過ごしてほしいです。

ストレスを取り除けば再登校できる?
「不登校の原因となったストレスを取り除けば、再登校できるのでは?」
そう思われる保護者さまもいらっしゃるかもしれませんはが、それで再登校できるケースは極めて稀だと思います。
その理由は、不登校が生じた時と同じようなストレス環境にさらされたら、また不登校に逆戻りしてしまう可能性が高いからです。
過去の私は「環境を変えてストレスを取り除けば再登校できるのでは?」という思いから、転校・退学を繰り返していました。
しかし、ストレスと向き合ったり、自分に合った対処法や生き方を考えたりしていなかったため、同じ過ちを繰り返してしまったのです。
再登校に限らず、穏やかで軽やかな人生を送るためには、ストレス除去よりも“ストレス解明”のほうが何倍も大事だと思います。

私のストレス要因
この章では、不登校だった頃の私が「ストレスを感じていた事柄」についてまとめました。
あくまでも一個人の体験談となりますが、少しでもお子さまのストレス要因を探るヒントになれば幸いです。
両親との関係
1つ目は、両親との関係です。
私の両親は「基本的には優しいけれど、常にいろんなストレスを与えてくる人たち」でした※①。
- 私の見えるところで大喧嘩を繰り広げる
- 私の気持ちを否定・批判ばかりする
- ちょっとしたことですぐに怒鳴る
- 私の行動をコントロールし、エゴを満たそうとする
今振り返ると、“毒親”と言われてもおかしくない両親だったように思います。
一人っ子で両親以外の家族がおらず、ほかに頼れる相手がいなかったことも、当時の私には大きなストレスでした。

※①:今は全くそのようなことはなく、とても優しい両親で、私にとって一番の心の支えです。
友人との関係
2つ目は、友人との関係です。
小さな頃から対人関係が苦手で、学校や習い事のコミュニティなどでいじめや仲間外れをされることが多くありました。
私がはじめて不登校になった中学2年生の時は、クラスメイトとの仲が良く、直接的に嫌な思いをすることはありませんでした。
しかし、これまでのトラウマから「たとえ仲良くしても、いつか裏切られる」という思いが強く、友人との交流を心から楽しむことができなかったのです。
仲は良かったとはいえ、価値観や考え方の違いも多く※②「私は誰とも馴染めない」という疎外感が強かったことも、ストレスのひとつだったように思います。

※②:具体例を出すと「同世代のみんなが夢中になるアイドルを好きになれない」「社会や教育に対する批判を理解してもらえず馬鹿にされる」などです。
塾講師との関係
3つ目は、小学生の頃から通っていた学習塾の講師との関係です。
小学生の時は優しい先生が多かったのですが、中学に入ってから担当の先生が代わり、キツイ言動をとられることが多くなりました。
- テストで高得点を取っても褒めてもらえない
- 生徒を差別し、対応を変えられる
- 「なぜあなたは○○さんのように頑張れないの?」と言われる
- 個人的なイライラから不機嫌な態度を取られる
上記はほんの一部ですが、「あなたたちは本当に塾講師ですか?」と言いたくなるような言動がほとんどで、帰宅後は毎日泣いていました。
一番頼れるはずの両親にも話せず、一人で抱えるしかなかったことも辛かったです。

学校教育のあり方
4つ目は、学校教育のあり方です。
- 「同じ地域で同じ年代に生まれたから」という理由だけで、狭い空間に押し込める
- 個性や性格がバラバラの子どもたちに対し、決まった時間に決まった行動を取らせる
- その生活に馴染めない子どもは「支援の対象」と見なす
小学生の頃から、そのような学校教育の在り方に対して疑問を抱いていました。
「個性を大事に」と謳いながら、個性を押しつぶして“自分らしさ”を奪い続ける学校のことを、どうしても好きになれなかったのです。
その嫌悪感は、年齢を重ねるごとに大きくなり「ストレス」へと変化していったように思います。

養護教諭の対応
5つ目は、中学校の保健室にいた養護教諭の対応です。
さまざまなストレスを抱えてながら生きていた私は、中学入学以降、体調を崩すことが多くなりました。
そのため、ほぼ毎日のように保健室に駆け込んでいたのですが、養護教諭の先生がものすごく厳しい人で、苦しい気持ちに全く寄り添ってくれなかったのです。
- 「熱がないなら教室に戻りなさい」と追い返される
- 「胃が痛いならトイレにでも行ったら?」と追い返される
- 胃が痛すぎてトイレの前で倒れ込んでいたら、冷たく笑われる
私の場合は、たとえ養護教諭が優しい人であっても、遅かれ早かれ不登校になっていたと思います。
しかし「辛い時に寄り添ってくれるはずの養護教諭が冷たい人だった」という事実は、当時の私にとってすごく重たいものでした。

学校教師からの指名制度
6つ目は、学校教師からの指名制度です。
学校の授業は、教師が生徒をランダムに指名し、問題の答えや意見の発表を促す場面が多々あります。
私はそれが大嫌いで「今日は指名されませんように」と願いながら登校していたくらいでした。
なぜ苦手だったのかと言うと、間違った答えや見当違いな意見を言うことで、教師やクラスメイトから笑われたり、白い目で見られたりすることが辛かったからです。
過去に何度かそのような経験をしていたので、私の中ではかなりのトラウマになっていたのだと思います。
この指名制度は、対人恐怖症(社交不安障害)※③発症の大きなきっかけのひとつとなりました。

※③:対人場面で過度な緊張や不安が生じ、他者との交流を避けてしまう病気です。不登校後に患い、29歳になった現在もまだ名残があります。
副科目に対する苦手意識
7つ目は、体育や美術(副科目)に対する苦手意識です。
体育の授業は、ほかのクラスメイトの前で(もしくは一緒に)おこなうので、その人の出来・不出来がはっきりと公になります。
私は昔から運動音痴だったので、みんなの前で恥をさらさなくてはならない体育の授業は本当に苦痛でした。
あまりにも運動音痴すぎて「ゆきと同じチームやと絶対負けるから嫌!」とクラスメイトから文句を言われることも多かったです。
また、私は美術も苦手だったのですが、それは「いろんな制約がある中で、教師の好みに沿う作品を作ることを強要されたから」でした。
もともと私はイラストを描いたり、工作や裁縫をしたりすることが大好きでした。
しかし、学校の美術は自分好みの作品を作れない上、その努力を教師に評価してもらえないことも多く、ものすごくストレスだったのです。
そんな経験があり、不登校以降はイラスト制作やモノづくりに全く手を出さなくなりました……。

勉強に対する“無価値感”
8つ目は、勉強に対する“無価値感”です。
小学校に入った時から、私は勉強が嫌いでした。嫌いというか「勉強する意味や価値がわからなかった」のです。
- 将来良い学校に入って、良い企業に就職すると幸せになれる
- だから、今頑張って勉強すると、いつか必ずあなたのためになる
両親や周囲の大人たちはずっとそう言っていましたが、私は常々その言葉に疑問を抱いていました。
- 良い大学に入って良い会社に就職したら、本当に幸せになれるのか?
- 「良い大学・良い会社」って、そもそも誰が決めてるのか?
- 世間が「良い」と評価しない大学や会社に入った人は全員不幸なのか?
そんな考えを持つ私にとって「成果主義のためだけに存在していると言っても過言ではない学校の勉強」は、ストレスそのものでした。
知識を詰め込むだけの“偽の勉強”を強要され、試験で良い点数を取ることだけを目標にして生きていく……。
そんな監獄のような生活があと数年(高校卒業の18歳頃まで)続くと思ったら一気に気が遠くなり、徐々に“学校に行く意味”を見出せなくなりました。

まとめ
本記事では、不登校の要因を考える上で重要なキーワードとなる「ストレス」について、不登校の元当事者・元研究者が掘り下げてみました。
ここでは私の事例を取り上げましたが、すべての不登校のお子さまが、私と同じようなストレスを抱えているわけではないと思います。
私たち大人が到底考えつかないような、複雑で難しいストレスを抱えているお子さまも多くいらっしゃることでしょう。
お子さまのペースに合わせて、ゆっくりとストレス要因を見つけ出す。そのうえで、ストレスとどのように向き合うかを親子で一緒に考えるー。
平坦な道のりではないからこそ、それを登り切った時の爽快感や幸福感は、何物にも代えがたい宝物になります。
不登校に悩むすべての親子さまに明るい未来が待っていますよう、心から願っています。
