不登校経験者の本音|親の対応で辛かったこと、してほしかったこと13選
「不登校の子どもに対して、どんな接し方をすれば良いかわからない……」
そのように悩んでいる保護者の方は、とても多いと思います。
しんどそうな子どもに対してどのような対応がベストなのか、お子さまのことを考えれば考えるほど、迷ってしまうものだと思います。
そこで今回は、中学2年生で不登校になった私が、両親の対応・言葉がけで「してほしかったこと」をまとめてみました。
「この言葉が辛かった」「この対応に傷ついた」という本音も、合わせて紹介しています。
不登校のお子さまがいる保護者の方は、ぜひ参考にしてみてください。
- 不登校の子どもが何を考えているか気になる
- 不登校の子どもとの関わり方に悩んでいる
- 不登校の子どもが安心する言葉や対応を知りたい
「不登校の私」を受け入れてほしかった

不登校の事実を受け入れることは、決して容易ではないと思います。
しかし、不登の事実を認めず「登校できる子ども」に戻そうとしたりする対応は、私の心を深く傷つけました。
しんどかった登校催促
辛かった対応としてまず挙げたいのは、毎日のように登校を促されたことです。
- 部屋にいる私を引っ張り出し、玄関まで連れて行かれる
- 制服を無理やり着せられる
- 毎朝、登校を促すメールが送られてくる
- 「今度の体育祭は行くよね?」と、行く前提で話しかけられる
学校に行かなければいけないことは、私自身が一番よくわかっていました。
それでも行けなかったのは、いろんなことを頑張ったり、我慢したりして、心や体が限界を迎えてしまっていたからです。

- 「行きたくても行けない気持ち」をわかってほしかった
- 親の気持ちや希望ばかりを押し付けないでほしかった
- 「登校すること」に対する執着を捨ててほしかった
不登校の子どもに必要なのは、正論や説得ではなく、しんどい気持ちを受け止め、寄り添うことだと思います。
「学校に行かなければいけないのに、どうしても行けない」という心の葛藤を、しっかりと理解してほしかったです。
登校に一喜一憂しないで
私が学校に行けるかどうかで対応を変え、一喜一憂を繰り返す対応も苦しかったです。
- 少しでも登校したり、行事に参加したりすると、あからさまに喜ぶ
- 学校に行く日は、あからさまに雰囲気が明るい
- 登校予定だった日に休むと、あからさまに落ち込んだり、泣かれたりする
- 「行事には行きたくない」と言うと、態度が一気に冷たくなる
そんな両親の姿を見た私は「学校に行ける私は愛してもらえるけど、行けない私は愛してもらえないんだな」と感じました。
どうしても両親からの愛を感じたくて、心と体を酷使し、無理をして登校したことも多かったです。
- 学校に行けない私も、愛してほしかった
- たとえ登校できなくても、あからさまに落ち込むのはやめてほしかった
- 登校の有無で対応を変えないでほしかった
学校に行けても行けなくても「私は私」ですし、登校できるかどうかで子どもの存在価値が変わることはありません。
「たとえ学校に行っていなくても、あなたが笑顔で生きてくれることが一番大事」ということを伝えてくれる親でいてほしかったです。

不登校の私は、理想の子どもじゃない?
私の両親は、周囲の親戚や知人たちに「娘が不登校である」という事実を隠していました。
- 学校の話が出るとあからさまに動揺する
- 曖昧な返答ではぐらかす
- 普通に登校している前提で話を進める
“架空の私”を作り上げている両親の様子を見た私は、怒りと悲しみで涙が出ました。
まるで「不登校のあなたは“理想の子ども”ではない」と言われているような気持ちになりました。

両親に嘘をつかせてしまっている罪悪感や、誰にも本当の私を知ってもらえない孤独感も大きかったです。
- “ありのままの私”を認めて、尊重してほしかった
- 不登校に対する否定的な価値観を手放してほしかった
- 「体調を崩して学校を休んでる」と正直に話してほしかった
両親が私の不登校を隠していたのは「不登校=良くないこと」という価値観があったからだと思います。
その価値観から脱却して“不登校の私”を認めてくれていたら、私はもう少し、安心して毎日を過ごせていたような気がします。
「制服着た子を見るのが辛い」
高校に入学して二度目の不登校になった時、母は泣きながら言いました。
- 外を歩いている時、あなたと同年代の子たちが制服を着て歩いているのを見るのが辛い
同世代の子たちを見て胸が苦しくなるのは、私も同じでした。
制服姿の中高生を見る度に“普通になれない自分”を突きつけられるような気がして、外に出ることさえ怖かったのです。
そんな私は、母の言葉を聞いてますます自己嫌悪に陥り、悲しみの渦から抜け出せなくなりました。
- 私を責めるような言葉は言わないでほしかった
- しんどさをぶつける相手は、ちゃんと選んでほしかった
- 辛いのは私も同じだということを理解してほしかった
当時の私が一番求めていたのは「あなたのしんどさを一緒に受け止めるよ」という静かな寄り添いでした。
辛い気持ちはわかるのですが、その感情を当事者の私に向けるのはやめてほしかったです。
生き方・進路はいろいろある
私の両親は、不登校の進路情報を何ひとつ集めてくれませんでした。
そのため私は「中学卒業後は全日制高校に行くか、ひきこもるかしかない」と思い込み、かなり無理をして全日制高校に進学しました。
- あの時、もっとたくさんの情報や選択肢を知っていれば、私はもう少し穏やかな毎日を過ごせていたのだろうな……
そんな思いが、不登校から15年以上経った今でも消えません。
- 「当たり前の進路」ばかりを押し付けないでほしかった
- 当時の私が無理なく過ごせる進路を一緒に考えてほしかった
- 不登校を否定したり、怒ったりするのではなく、これからの人生を幸せに生きられるようにサポートしてほしかった
私が不登校だった時代はスマホ普及前で、不登校の社会認知も乏しかったため、情報を得づらい部分もあったのだと思います。
しかし現在は、ネット記事やSNS、関連書籍、親の会など、情報を得る手段やツールがたくさんあります。
無理のない範囲でさまざまな情報に触れ、多くの選択肢を知っておくことをおすすめしたいです。


「いろんな進路や選択肢があるんだな」と知ることは、不安の解消や焦りの軽減にもつながると思います。
気持ち・体調を理解してほしかった

長い間ずっと、言葉にできないしんどさを必死に抱えて続けていました。
その気持ちに気づいてもらえなかったことは、更なる苦しみにつながりました。
痛みやしんどさに寄り添って
「しんどい気持ちを理解し、寄り添ってほしかった」ということは、当時の私が一番強く感じていたことだと思います。
- 「アンタよりしんどい思いしてる人は、世の中にいっぱいいる」という言葉
- 「甘えるな、ベッドがあるから寝てばかりいられるんや」と言われ、ベッドを解体される
いくら両親でも、子どもの気持ちを100%理解することは難しいと思います。
しかし、苦しい気持ちに寄り添い、理解しようとすることはできるはずです。
- 私のしんどい気持ちを、他人と比べないでほしかった
- 目の前にいる私の気持ちを大事にしてほしかった
- 安心して休める場所(ベッド)を奪わないでほしかった
たとえ目に見える状況が変わらなくても、誰かの優しさに触れるだけで心が軽やかになることも少なくありません。
無理やり前に進ませようとするのではなく、ただ静かに、痛みに寄り添ってほしかったです。

私の気持ちを決めつけないで
私の気持ちを勝手に決めつけられたことも、辛い体験のひとつでした。
- 「この前の定期テストは受験できたから次も大丈夫なはず」と決めつけて、受験する前提で話を進める
- 「この前の行事は参加できたから次も行けるはず」と決めつけて、参加する前提で話を進める
不登校は、両親や学校教師をはじめとした“大人のサポート”が必要不可欠です。
しかし、物事のすべてを大人だけで決めつけて、子どもが意思決定する機会を奪うのはちがうと思います。
これらの対応が重なるうちに、私は両親が信じられなくなり、ますます自分の殻に閉じこもるようになりました。
- 私の気持ちを聞かないまま、勝手に話を進めないでほしかった
- 意思表示できる機会や、安心して気持ちを話せる環境を作ってほしかった
進路のことも学校のことも、一番大切なのは、不登校当事者である子どもの気持ちです。
何かを決めなければいけない時は、ひとつひとつ私の気持ちを確認してほしかったです。

お子さまとの直接的な会話が難しければ、LINEやメモを利用するのもひとつの手段だと思います。
趣味に没頭するのは、心を守りたいから
不登校になった直後は、当時好きだったイラスト制作や裁縫をして過ごしていました。
けれど、私が趣味に没頭するほど、両親の雰囲気は険しくなっていきました。
- 私が自室で作業をすると、母のテンションが明らかに下がる
- 「ゆきちゃんがそうやって裁縫をやっている間、お母さんは心の中で泣いてるんやで」と父に言われる
両親の反応に耐えられなくなった私は、次第にイラスト制作や裁縫をやらなくなり、何もせずベッドに籠るようになりました。
「他のことをやってみようかな?」という気持ちにもなれず、ひたすら天井を見上げていた記憶があります。
- 「心を落ち着かせるための作業」だということを理解してほしかった
- 「心の中で泣いている」のは私も同じだということに気づいてほしかった
- 何も考えず、楽しく遊んでいるわけではないこと知ってほしかった
趣味に没頭していた時間は、辛い現実から距離を置き、心の平穏を保つための大事なひと時だったように思います。
遊びではなく“心を休ませる大切な時間”という理解を持ち、そっと見守ってほしかったです。

大人になった今でも、イラスト制作や裁縫には“トラウマ”があります……。
家庭内で「安心」したかった

家の中は、本来、どこよりも安心できる場所であるはずです。
しかし、両親からの不安や焦りが強く伝わり、心を休めることが難しかったのが当時の現状でした。
朝の声かけは、“軽やか”に
不登校になった直後は、朝8時半ごろに母が私を起こしに来ていました。
- 布団を勝手にめくられる
- テレビを勝手につけて、音量を大きくされる
- 顔を触りながら「起きて!」と言われる
朝の8時半と言えば、たくさんの子どもたちが学校へ登校し、1日の生活を始める時間です。
そのため、不登校の私にとっては一番しんどい時間帯でもあり、なんとなく布団から出づらい気持ちがありました。

もし一歩でも布団から出てしまったら、不登校の事実がより浮き彫りになるような気がして苦しかったです。
- 寝たいから布団に入ってるのではなく、自分が不登校である事実が苦しくて起きられないことを知ってほしかった
- 過度なかかわりは、心を閉ざす原因になることを理解してほしかった
- 「おはよう」「朝ご飯できたよ」くらいの軽やかな言葉がけに留めておいてほしかった
母はただ「朝だから起きて」と言いたいだけみたいでしたが、学校に行っていないことを責められている気がして辛かったです。
何も心配せず、安心して布団から出られる対応をしてほしかったのが、当時の一番の本音でした。
私だって泣きたい
不登校初期の頃に一番辛かったのは、母親が毎日のように泣いていたことでした。
- 一緒にご飯を食べたり、テレビを観たりしている時に、突然泣き出す
- 私がベッドで寝ていると、母の泣き声が聞こえてくる
当時の私にとって、いろんなしんどさや苦しみを受け止めてもらいたかった一番の相手は「母」でした。
しかし、毎日泣き続ける母の姿を見た私は、全てを1人で抱え込むことしかできず、心がボロボロになりました。

「母を泣かせる私は、なんて最低な娘なのだろう……」と、自分を責める日々でした。
- 一番辛いのは「当事者の私」だということを忘れないでほしかった
- 泣いたり、弱音を吐いたりする時は、私の目に触れない場所やタイミングを選んでほしかった
- 一方的に感情を吐き出すのではなく、私の気持ちも聞いてほしかった
カウンセリングや親の会、SNSなど、子どもの目に触れずに感情を吐き出せるツールや、安心して本音を話せる場所はたくさんあります。
何もかも一人で抱え込まず、少し立ち止まって、お互いに負担がない感情の吐き出し方を考えてほしかったです。

進路の話よりも、楽しい会話を
不登校の頃、家族の会話の約9割は、学校や進路に関する話題でした。
- 顔を合わすたびに、今後の進路や学校の話ばかりされる
- 「これからどうするの?」と週1くらいで聞かれる
- 「バイトでもしたら?」「専門学校でも行ったら?」としつこく言われる
「これからのことをちゃんと考えて決めなければ……」ということは、頭がパンクするほど考えていたように思います。
それでもなかなか決められなくて、体調への不安や数々のトラウマが原因で前に進めない自分をたくさん責めていました。
- 私を信じて、穏やかに見守っていてほしかった
- 今後の人生がかかっている局面で、急かすようなことはしないでほしかった
- 好きなことや趣味の話など、もっと普通の話をしたかった
当時の私は、趣味や好きなことなど、何気ない話を両親に聞いてもらいたい気持ちが強くありました。
進路の話だけでなく、軽やかで明るい会話もできていれば、もう少しリラックスして過ごせていたのかな……と思います。

私以外のことにも目を向けて
不登校になって以降は、母と一緒に自宅で過ごす時間が格段に増えました。
私のことが気がかりだった母は、それまでよりも自宅にいる時間を増やし、外出頻度を減らしていたようです。

母は専業主婦で、子どもも私一人だったので、平日はずっと母と2人きりでした。
しかし「自分のために母がこれまでの生活を変える」という事実は、当時の私にとってすごく重荷でした。
まるで私の一挙手一投足を常に監視されているような気分になり、まったく心が休まらなくて苦しかったです。
- 私以外のことにも目を向けてほしかった
- 過度な心配はせず、なるべく普段通りの生活をしてほしかった
- 母と離れて過ごす時間がほしかった
- 週1でもいいので、どこかに働きに出てほしかった
不登校の私と1日中一緒に過ごすのは、母にとっても苦しい時間だったと思います。
だからこそ、そのしんどさに囚われるのではなく、私以外のことに意識を向ける時間を作ることも忘れないでほしかったです。

そうやって母の心に余裕が持てたら、お互いにもっと穏やかな時間を過ごせていたのではないかと思います。
一番の幸せは、両親の笑顔
私が自室で過ごしている時、両親は毎週のように、私の不登校のことで喧嘩をしていました。
何度も声を荒げたり、泣いたりしながら喧嘩をする両親の姿を目の当たりにした私は、こう思いました。
- 両親が揉めるのは、私が不登校だから
- 私がちゃんと学校に行っていれば、両親は仲良くいられたはず
- 家族が苦しいのは、私が普通に生きられないせい
- 私のせいで、家族の幸せを奪ってごめんなさい
「子どもの幸せが私の幸せ」「子どもの悲しい顔なんて見たくない」という気持ちを持つ保護者の方は、とても多いと思います。
でもそれは、私たち子どもも同じです。
父や母が楽しそうに笑っている姿を見ることが、子どもにとっては何よりも安心で、いちばんの幸せなのです。
- 仕事を頑張ったり、趣味を楽しんだりして、1秒でも多く人生を楽しんでほしかった
- ずっと笑顔でいてほしかった
- どうしても私のことで話し合いをしたい時は、私の目に触れない場所を選んでほしかった
心に余裕があり、どんな時も笑顔で接してくれる両親の姿は、子どもにとって一番の“栄養”になると思います。
私のことを大切に思うように、両親自身のことも大事にして、笑顔の日々を過ごしほしかったのが本音です。

現在の私は、父と母がそれぞれの“推し活”に励み、楽しそうに過ごしている姿を見るのがとても幸せです(笑)
おわりに|子どもの可能性を信じて、見守ってほしい

本記事では、不登校経験者の私が両親の対応で辛かったことや、してほしかったことについてまとめてみました。
不登校やひきこもりが長く続くと、いろんな不安が出てくると思います。
しかし、生きてさえいれば、未来なんて後からどうにでもなります。
どうか、お子さまの可能性を信じて、やさしく見守ってあげてください。
そのやさしさは、いつかきっと、お子さまの幸せな未来につながるはずです。
皆様のご家庭に少しでも明るい光が差し込みますように、心から願っています。


