不登校

不登校のとき、両親や周りの大人の対応で辛かったこと

不登校のときに辛かったこと
yuki-yoshida

「不登校だったとき、もう少し周囲の大人の対応が良かったら、私はあんなに苦しまずに済んだのにな……。」

そう思うことが時々あります。

そこで今回は、不登校だったときの周囲の大人の対応で「辛かったな」「苦しかったな」と思うことをまとめてみました。

不登校のお子さまがいる保護者の方、学校関係者の方はもちろん、不登校のお子さまと関わるすべての方に読んでいただきたいです。

辛かった対応13選

ここからは、周囲の大人たちの対応で辛かったことを12個に厳選してお話します。

ヘビーな話もありますが、少しでも「不登校のリアル」を知っていただけると幸いです。

登校を催促される

中学で不登校になってから数か月後、スクールカウンセラーの先生や担任の先生は、私を教室に連れ戻そうとしました。

どうやら、心理テストの結果が以前よりも良くなっていたらしく、「今なら教室に戻れるはずだ」と思ったようです。

呆れましたね。心理テストごときで私の何がわかるのか、と。

もっとしっかり「本当の私」を見てほしかったです。

高校の時は、とにかく担任の先生がひどかったです。

「この日は来よう」「それが無理ならこの日」など、毎日のように電話で登校を催促されていました。

私はその度に過呼吸を起こしていたのですが、そのことを母親が担任に伝えると、「かわいそうに……」と言っていたそう。

誰のせいで過呼吸になってる思とんねん!って感じです(笑)

無理やり教室に連れて行かされる

登校を催促されるだけでなく、無理やり教室に連れて行かされたこともたくさんありました。

教室への連行は、中学・高校ともに経験があるのですが、一番ひどかったのは高校のときです。

カウンセリングに行っただけだったのに、なぜか強制的に教室に連れて行かされました。

そして、「どうですか、今の気持ちは」と聞かれて……思わず泣きそうになりました。

捉え方によっては、一種のパワハラだと思います。

母親が泣く

不登校になった当初、一番辛かったのが、毎日のように母親が泣いていたことです。

本人は私に隠れて泣いていたつもりだったようですが、全然隠しきれてなくて……それが逆にしんどかったですね。

そんな母親の姿を見てしまったら、こちらは泣くに泣けませんし、辛い気持ちや苦しい気持ちも一切吐露できません。

母も母で相当しんどかったと思いますが、不登校元当事者の立場から言わせてもらうと、私にわかるように泣くのはやめてほしかったです。

父親の無理解

高校に入ってからは、父親の対応もなかなかにヘビーでした。

私を学校に連れて行かせるために仕事を休んだり、無理やり制服を着せようとしてきたり……。

私がベッドで寝ているときに「あんたがこうしている間も、お母さんは心の中で泣いてるねんで」と言ってきたこともありました。

いやいや、私の方が泣きたいんだけど……って感じでしたね。

「もう少し私の辛い気持ちや苦しい気持ちを理解してほしかったな……」と思います。

私の見えるところで揉める

私が自室にこもっている時や、お風呂に入っているとき、両親はよく私のことで喧嘩(言い合い)をしていました。

本人たちは、私に聞こえないように話しているつもりだったのでしょうけど、こういうのって意外とちゃんと聞こえるんですよね……。

めちゃくちゃ嫌な気持ちになりました。

また、中3の頃は、塾の先生(塾長)とカウンセラーの先生が連絡を取り合っていたのですが、その2人もよく揉めていました。

特に、カウンセラーの先生は塾長のことが大嫌いだったようで(笑)

学校に行ってカウンセラーの先生と会うたびに、塾長の愚痴を聞かされていました。

「自分のことで大人たちが揉めている」という事実は、子どもにとってはものすごく負担ですし、自分を責める原因にもなります。

私の話をするならば、私が完全にいない状態を狙ってしてほしかったですし、そういう話をわざわざ私に報告するのもやめてほしかったです。

私が不登校である事実を封印される

両親や祖父母など、私の不登校を知っている人たちは、周囲の親戚や知人たちに「娘(孫)が不登校である」という事実を頑なに隠していました。

嘘をついたり、ちょっとはぐらかしたり……その様子を見るのがとても辛かったですね。

不登校である事実を封印するということは、不登校に対してネガティブな考えを持っているからだと思います。

それはある程度仕方がないことなのかもしれませんが、自分の存在までも否定されているような気がして悲しかったです。

できることなら「今ちょっと体調崩しててt学校行ってないねん」と正直に伝えてほしかったですね。

学校に行けないことを否定される

学校に行けないことを否定されるのも辛かったですね。

私が一番辛かったのは、とある塾の先生に言われたこの言葉です。

ひどい塾講師
ひどい塾講師

お前が病んでるようには見えへんし、学校行けへんようになる意味がわからへん。

お前みたいなん、まだ苦しんでるうちに入らへんし、お前よりもっと苦しい思いしながら学校行ってる子もおる。

そんなんで学校行かへんのなんて甘えてるだけや。

これ、かなりひどくないですか?

不登校になった直後に言われたこともあって、余計にグサッと来ました。

不登校に対してネガティブな考えを持つのは自由です。

しかし、それをわざわざ当人に言う必要はどこにもないと思います。

もう少し想像力を持って、相手に寄り添う言葉がけをしてほしかったです。

「誰も助けてくれない」

「結局は自分で考えなあかんから、誰も助けてくれへんで。」

こちらも、塾の先生に言われた言葉です。

悩みは自分で乗り越えるものだから、本質的には誰も助けてくれない……。

それは紛れもない事実だと思いますが、心が限界に達している子どもにそれを言うのは、絶対に間違っています。

これを言われた直後、私は軽度の拒食症になりました……。

「贅沢で甘えすぎ」

不登校になった直後は、塾の先生方に頻繁に話を聞いてもらっていました。

母親や父親は今ひとつ頼りにならなかったため、ほかに話を聞いてくれる人がいなかったのです。

すると、あるとき、先生たちは私にこう言いました。

「ちょっと贅沢だと思うよ。」

「いくらなんでも甘えすぎなんじゃないの?」

悩みや苦しみを他人(大人)に打ち明けることは、子どもにとってとても勇気がいる行為です。

それなのに、それを「贅沢」「甘えすぎ」というネガティブな言葉で片付けられてしまったことが、とても悲しかったです。

子どもが大人を頼ることの何がいけないのでしょうか。

大人の支えは、子どもの成長や自立のために必要不可欠なものではないでしょうか。

不登校になって間もない14歳の私は、ただただ傷つき、泣くことしかできませんでした。

「病んでる」と言うなんて……

中3の一時期だけですが、私は自分のことを「病み子」と呼んでいました。

こちらから積極的に「私は今とても辛いです」ということをアピールしないと、誰も心配してくれなかったからです。

すると、そのことを知った塾の先生がこう言いました。

「本当に病んでいる人は、自分から『病んでる』とは言いません。」

本人は良かれと思って言ったのでしょうけど、私はすごく傷つきましたね。

「私の辛さを理解してくれる人は誰もいないんだな」ということを改めて感じた瞬間でした。

勝手に私の気持ちを決めつける

不登校だったとき、「勝手に私の気持ちを決めつけられて、勝手に話を進められる」ということがよくありました。

個人的に印象深かった出来事を、以下にまとめました。

  • 「この子はもう教室に戻れるはず」と決めけて、登校を催促したり、無理やり教室に連れて行かされたりする
  • 「この前の定期テストは受験できたから次も受験できるはず」と決めつけて、受験する前提で話を進められる
  • 「授業は無理でも行事には参加できるだろう」と決めつけて、体育祭や合唱コンクールの練習に連れて行かされる

不登校は子どもの話なので、親や学校教員をはじめとした大人による援助が不可欠です。

しかし、物事のすべてを大人たちが勝手に決めつけて、それをもとに行動してしまうのは良くないと思います。

一番大切なのは、当事者である子どもの気持ちです。

そのことをわかっていない大人が、あまりにも多すぎました……。

「線路のレールから脱線することになる」

「あなたがこのまま教室に戻らなければ、あなたは一人だけ線路のレールから脱線することになる。」

高校のスクールカウンセラーに言われた言葉です。

ひどいですよね。もっとほかの言い方があるでしょ、と思います。

今はもう、「この人は視野が狭いかわいそうな人なんだなあ」としか思いませんが(笑)

当時は心から傷つき、ずっと泣いていました。

「そんな怖い顔で睨まないでよ」

「そんな怖い顔で睨まないでよ。」

これも、高校のときのスクールカウンセラーに言われた言葉です。

実はこの言葉は、スクールカウンセラーだけでなく、それ以外の先生にも言われました。

私は自分の高校のことが心底嫌いだったので※①(笑)

きっと先生方と話しているときは、かなり険しい顔をしていたのだと思います。

しかし、いくら私が険しい顔をしていたとしても、それを本人に言う必要はどこにもありません。

その言葉を言われた日は泣きながら帰りましたし、しばらくは鏡の前で笑顔の練習をしていましたね……。

※①:今も心底嫌いです。笑

嬉しかったことはない

ここまで、不登校のときの対応で辛かったことをお話してきました。

これだけのことを書くと、「そうは言っても、嬉しかった対応や良かった対応もあるでしょう?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、残念ながら、不登校のときの対応で嬉しかったことや良かったことは、何ひとつとしてありません。

当時の日記や、日記をもとに書き溜めている自伝エッセイ(非公開)なども色々読み返しましたが、本当に、びっくりするくらい何もありませんでした。

当時の私がいかに周囲の大人に恵まれていなかったかがよくわかります……。

まとめ

本記事では、不登校だったときの周囲の対応で辛かったことをまとめてみました。

あれから10年近い月日が経ち、両親との関係は随分と良くなりましたし、私を傷つけたことも謝ってくれました。

しかし、塾の先生や学校の先生に関しては、ずっとモヤモヤが残ったままです。

正直に言いますが、私は彼らを一生許すつもりはありません。

おそらく、皆さまが想像する1000倍は、心に大きな傷が残っています。

あくまでも私の捉え方ですが、ここに書いたことはすべて「言葉の暴力」です。

今この記事を読んでいる大人の皆さま。

どうか、どうか、不登校の子どもを否定したり、キツイ言葉をかけたりしないでください。

辛さや苦しみに寄り添い、優しい言葉をかけてあげてください。

不登校の子どもが安心して笑顔で毎日を過ごせるよう、温かく見守ってあげてください。

もうこれ以上、私のように傷つき苦しむ子どもが増えませんように……。

ABOUT ME
ゆき
ゆき
生きづらさマイスター
1996年生まれ。佛教大学大学院・社会学専攻社会学研究科(修士課程)修了。 自身のさまざまな生きづらさ体験をもとに、当事者目線からの情報発信や支援活動をおこなっています。
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