不登校の子どもへの接し方がわからない保護者の方に伝えたい!中学2年生で不登校になった私が両親からの対応で辛かったこと・してほしかったことをまとめました

「不登校の子どもに対して、どんな接し方をすれば良いかわからない……」
そのように悩んでいる保護者の方は、とても多いと思います。
苦しんでいる子どもに対してどのような対応ができるのか、どんな言葉をかければ良いのか……。
お子さまを大切に想う気持ちが強ければ強いほど、迷ってしまいますよね。
そこで今回は、中学2年生で不登校になった私が、両親からの対応で「辛かったな」「苦しかったな」と思ったことをまとめてみました。
記事の後半では、経験者かつ元研究者としての立場から考える「してほしかった対応」も紹介しています。
不登校のお子さまがいる保護者の方はもちろん、不登校のお子さまと関わるすべての方に読んでいただきたいです。
辛かった対応
この章では、私が不登校だった時に「辛かったな」「苦しかったな」と思った両親からの対応をまとめました。
少しでも“不登校のリアル”を知っていただければ幸いです。
登校を催促される
辛かった対応として最初に挙げたいのが「登校の催促」です。
- 「学校に行きましょう」という内容の長文メールが送られてくる
- 仕事を休み、私を学校に連れて行かせようとする
- 無理やり服を脱がせ、制服に着替えさせようとする
- 「行事くらいは行けるよね?」「明日は行けるよね?」と言われる
不登校になってしまうのは、何らかの理由で学校に行きたくない・行けない状態になってしまっているからです。
そこを無視して登校を催促されるのは、とてもしんどくて辛いです。
これは、保護者の方だけでなく、学校の先生方にも伝えたい話です。
たとえば、体調不良などで会社に行けない状態の時に「なんで行かないの!行きなさい!」と言われたら、ものすごく嫌な気分になりますよね。
それと同じことを、不登校の子どもたちは色んな大人からされているわけです。
これまで、さまざまな本や論文で不登校経験者の語りを読んできましたが、「登校を催促されて嬉しかった」と言っている人は見たことがありません。
みんな声を揃えて「(両親や学校の先生から)登校を強要・催促されたのが嫌だった」と語っています。
学校に行ってほしい・来てほしい気持ちは理解できますが、その気持ちをあからさまに子どもに向けるのは違うと思います。
本人の気持ちやタイミングを大切に、温かく見守ってほしかったです。

行ったら喜び、休んだら悲しむ
登校に対する「両親の反応」も、辛い体験のひとつでした。
別室登校であれ、行事だけであれ、学校に行けばあからさまに喜ぶ。そして反対に、行けなければあからさまに悲しむ……。
苦しかったですね。「学校に行ける私は愛してもらえるけれど、行けない私は愛してもらえないんだ……」と思いました。
両親の喜ぶ顔が見たい。両親からの愛を感じたい。これ以上、両親を悲しませることはしたくない。
そのような溢れる気持ちを抑えられず、本当は行きたくないのに、無理して登校したこともたくさんありました。
しかし、学校に行けても行けなくても「私は私」ですし、登校の有無によって、子どもの存在価値が変わることはありません。
そのことを心に留めておきながら、どんな状況でも、穏やかに見守ってほしかったです。

私の見えるところで泣かれる
不登校になった最初の頃に辛かったのが、毎日のように母親が泣いていたことです。
リビングにいたり、自室で寝ていたりすると、遠くから母親の泣き声が聞こえてくることが多々ありました。
母親も母親で、相当しんどい思いを抱えていたのだと思います。
けれど、そんな母親の泣き声を聞いてしまったら、こちらは泣くに泣けませんし、モヤモヤした気持ちや不安なども一切吐露できませんでした。
「私のせいで母親が傷ついている」「母親を泣かせる私はなんて最低な娘なのだろう」という感情だけが残り、すごく苦しかったことをよく覚えています。
辛くて涙が出てしまう気持ちは痛いほどわかります。
仮に私が母親の立場になったとしても、きっと同じような感情に支配されると思います。
しかし、母親と同じくらい、子ども本人も苦しい気持ちを抱えていることは、紛れもない事実です。
ネガティブな感情を吐き出す場所とタイミングは、よくよく考えるべきだと思います。

大人たちが揉める
私が自室にこもっている時や、お風呂に入っている時、両親はよく私のことで喧嘩をしていました。
本人たちは私に聞こえないように話しているつもりだったようですが、こういうのって意外とちゃんと聞こえるんですよね……。
「自分のせいで両親が喧嘩をしている」という事実は、子どもにとってかなりしんどいものです。
それがきっかけで自己否定感が強まることも多いですし、私も当時はひたすらに自分を責めていました。
人間同士なので、意見のぶつかり合いは避けては通れないと思います。
しかし、それを子どもの目に触れる場所でおこなうのは、子どもを傷つけるだけで何のメリットもありません。
夫婦で子どものことを話す時は、確実に子どもの目に触れない状況を選んでほしかったです。

不登校の事実を封印される
私の両親は、周囲の親戚や知人たちに「娘が不登校である」という事実を頑なに隠していました。
学校の話題が出るとあからさまに動揺したり、曖昧な返答ではぐらかしたり、普通に登校している前提で話を進めたり……。
その時に私が感じていた気持ちは、以下の3つです。
- 両親に嘘をつかせてしまっていることへの罪悪感
- 誰にも「本当の私」を知ってもらえない・理解してもらえない孤独感
- 自分の存在を否定されたような悲しさ・虚しさ
これらの感情の中で特に私が辛かったのが「自分を否定されたような悲しさ・虚しさ」です。
子どもが不登校である事実を封印したくなるのは、不登校に対してネガティブなイメージがあるからだと思います。
いくら不登校の子どもの数が増えているとはいえ、不登校に対する偏見はまだまだ世の中に蔓延っていますからね。
しかし、両親が不登校の事実を封印するということは、子どもにとって「不登校である自分の存在を否定される」ということとほぼ同意義です。
それは子どもにとって本当に辛いことで、「不登校の子どもはウチにはいらない」と言われているような気持ちにすらなってしまいます。
できることなら「今ちょっと体調崩してて学校行ってないのよ」と正直に伝えて、“ありのままの自分”を尊重してほしかったです。

朝に無理やり起こされる
不登校になった当初は、母親が毎朝のように私を起こしに来ていました。
わざとテレビの音量を大きくしたり、顔や頭を触って起こさせようとしてきたり……。
朝の8~9時くらいって、ほかの子どもたちが学校へ登校する時間なので、起きるのがとても苦しいんですよね。
「みんなはちゃんと学校に行っているのに、行けない私はダメ人間だ……」みたいな感じで、よく自己嫌悪に陥っていました。
母はただ「朝だから起きて」と言いたいだけみたいでしたが、学校に行っていないことを責められている気がして辛かったです。
「おはよう~」「朝ご飯できたで~」くらいの軽やかな言葉がけに留めておいてほしかったかなと思います。

しんどさを理解してもらえない
苦しみやしんどさを理解してもらえないことも、子どもにとっては辛い体験です。
「あんたより辛い思いしてる人は、世の中にいっぱいいる」
これは、過呼吸が辛くてベッドで寝ている時に、父から言われた言葉です。
子どもにとって両親は、一番身近な理解者です。
そんな両親に自分のしんどさを理解してもらえないことは、子どもにとって言葉にならないくらい悲しいことです。
「しんどい、苦しい」という感情は、その人(子ども)自身がその人の心で感じているものです。
いくら親であっても、その感情をとやかく言える資格はないと思いますし、そもそも人の苦しみは他者と比べるものではないと思います。
「しんどいね、苦しいね」と、ただ気持ちを受け入れて、寄り添ってほしかったです。

私の気持ちを決めつける
私が不登校だった時に一番辛かったのは、「私の気持ちを勝手に決めつけられて、勝手に話を進められたこと」です。
個人的に印象深かった出来事を、以下にまとめました。
- 「この子はもう教室に戻れるはず」「これだけ休んだら大丈夫」と決めけて、登校を催促する
- 「この前の定期テストは受験できたから次も受験できるはず」と決めつけて、受験する前提で話を進められる
- 「授業は無理でも行事には参加できるだろう」と決めつけて、体育祭や合唱コンクールの練習に連れて行かされる
不登校は子どもの話なので、保護者の方をはじめとした周囲の大人のサポートが必要不可欠です。
しかし、物事のすべてを大人たちが勝手に決めつけて、行動してしまうのは良くないと思います。
一番大切なのは、不登校当事者である子どもの気持ちです。そしてその気持ちは、子ども本人しか知り得ないものです。
何かを決めたり、行動したりしないといけない時は、ひとつひとつ私の気持ちを確認してほしかったです。

してほしかった対応
この章では、第1章の体験談を踏まえて「当時の私は両親に何を求めていたのか?」という部分を掘り下げていきたいと思います。
対応や声かけなど、参考になることがあれば幸いです。
子どもの気持ちを聞く
1つ目は、子どもの気持ちを聞くことです。
在籍している学校のこと、今後の進路のことなど、子どものことでいろいろと決断・行動をしなければいけない場面は多々あると思います。
そんな時に一番大切なのは、保護者の方や学校の先生たちだけで、子どもの気持ちを勝手に決めつけて話を進めないことだと考えています。
「〇〇だから△△だろう」と思っても、いざ本人に気持ちを確かめてみたら全然違うことを考えていた……ということ、大人同士の人間関係でもよくありますよね。
お子さまと意思疎通がとれる状態なのであれば、いちいち子どもに気持ちを聞いて、それを尊重してあげてください。
もしかしたら「わからない」と言われたり、返答がなかったりすることもあるかもしれません。
それでも根気強く、お子さまの本音を引き出してあげるうちに、少しずつ自分の気持ちを伝えてくれるようになると思います。

“ありのまま”を受け入れる
2つ目は、“ありのまま”の子どもを受け入れることです。
「できることなら学校に行ってほしい」「1日でも早く教室に戻ってほしい」と思う気持ちは、痛い程よくわかります。
しかし、学校に行ってようが、行っていまいが、子どもの存在価値は何ひとつ変わらないはずです。
たとえ不登校やひきこもりの期間が続いたとしても、生きてさえいれば、未来なんて後からどうにでもなります。
それは既に、私はもちろん、多くの不登校・ひきこもり経験者が証明しています。
「学校に行ったらOK、行かなかったらダメ」というジャッジの仕方は、誰も幸せになれません。
「子ども本人が笑顔で生きてくれることが一番大事」ということを、どうか忘れないでほしいです。

感情処理の方法を考え直す
3つ目は、ネガティブな感情の処理の仕方についてです。
保護者の皆様も、一人の人間です。弱音を吐いたり、泣きたくなったりする時は必ずあると思います。
けれど、それらの感情を子どもの目に触れる場所で吐き出してしまうのは……子どものことを考えると、あまり良い行為とは言えません。
親の辛そうな姿を目の当たりにすると、子どもは「自分が学校に行っていないせいだ」と自己否定を繰り返したり、自己嫌悪に陥ったりしてしまいます。
それは、保護者の方にとっても悲しいことだと思います。
両親や友人に話を聞いてもらったり、カウンセリングや親の会に参加したり、SNSを利用したり、一人ドライブをしながら思いっきり泣いたり……。
感情処理の仕方は、いろいろあります。少し立ち止まって、ご自身の感情発散法について考える時間を作っていただけると幸いです。

情報を集める
4つ目は「情報収集」です。
私が不登校になった頃(2010年)は、不登校問題の認知度が今よりも低く、スマホ普及前だったこともあって情報集めにとても苦労しました。
学校の先生や医師、カウンセラーも進路や居場所に関する情報を何ひとつ持っておらず、ただ家族3人で悶々とした日々を過ごすしかなかったのです。
あの時、もっとたくさんの情報や選択肢を知っていれば……私たちはもう少し、穏やかで落ち着いた毎日を過ごせていたような気がします。
現在は不登校に関する書籍もたくさん出ていますし、ネットやSNSを見れば数多くの情報を調べることができます。
不登校のお子さまを持つ保護者を対象とした親の会や、不登校経験者が登壇するお話会なども、全国各地でたくさん開催されています。
実際に経験者の体験談を聞いたり、いろんな情報を集めたりすることで、不登校に対するイメージや価値観が柔らかいものに変化することもあると思います。
そのようにして保護者さまの心のモヤモヤが薄れ始めると、お子さまにも笑顔が戻り、良い流れが生まれやすいです。
ご自身に負担のない方法で、できるだけ多くの情報を集めておくことをおすすめします。

子どもと離れる時間を作る
5つ目は、子どもと離れる時間を作ることです。
私の母親は専業主婦だったので、学校に行けなくなってからは、母と2人で過ごす時間が格段に増えました。
一人っ子だということもあり、母の意識は常に私に向けられていて、まるで私の一挙手一投足を常に監視されているような気分でした。
そんな母の視線が言葉にならないくらい負担で、家出をしたことも多々ありました。
不登校のお子さまと1日中一緒に過ごすのは、正直、保護者の方にとってもしんどい部分があるのではないかと思います。
お子さまのこと以外に意識を向けられる時間や、自分の心を癒す時間を家の外で作ることも、穏やかな親子関係に大切なことなのではないかなと思います。

しんどさ・辛さに寄り添う
6つ目は、子どものしんどさに寄り添うことです。
いくら親とはいえ、自分と別個体である子どもの気持ちを100%理解することはできないと思います。
しかし、子どものしんどさや辛さを想像し、受け入れ、優しく寄り添ってあげることはできるはずです。
私たち大人も、辛い気持ちに共感してもらえたり、悲しさや寂しさに寄り添ってくれたりする人と出会えたら、とても心が救われますよね。
たとえ目に見える状況が変わらなかったとしても、誰かの優しさや温かさに触れるだけで、ネガティブな感情が不思議と軽減されていきます。
それと同じことを、大切なお子さまにもぜひ実践してあげてほしいです。

何気ない雑談をする
7つ目は「雑談=何気ない話をただしゃべる」ことです。
私の両親(特に父親)は、顔を合わせる度に進路の話や学校の話をしてきていました。
親として将来が不安になってしまう気持ちはわかるのですが、子どもとしては、そんな話よりももっと“ふつうの話”がしたいのです。
テレビの話や趣味の話、ゲームの話や推しの話……。とにかく、自分が興味があることの話を「親に話したい・聞いてもらいたい」のです。
私は、10代の頃にそのような時間を持てなかったことを、とても後悔しています。
もし今、お子さまとそれなりにコミュニケーションがとれる状況であれば“何気ない雑談”を積極的に持ちかけてみてほしいです。

とにかく幸せでいる
最後にお伝えしたいことは「とにかく幸せでいてください」ということです。
「子どもの幸せが私の幸せ」という気持ちを持つ保護者さまは、とても多いと思います。
私たち子どもも、皆様と同じです。父や母が楽しそうに笑っているのを見ることが、何よりも嬉しくて幸せなのです。
仕事や趣味に打ち込んだり、他人との交流を楽しんだりしながら、保護者さま自身の人生を心から楽しむ……。
そんなご両親の姿は、お子さまにとって一番の栄養となります。
お子さまのことを大事に想う気持ちと同じように、ご自身のことも大事にしながら日々を過ごしてくださいね。

まとめ
本記事では、私が不登校だった時に両親の対応で辛かったことや、してほしかったことをまとめてみました。
今この記事を読んでいる保護者の皆さま。
どうか、どうか、不登校のお子さまを否定したり、無理やり学校に連れて行ったりしないでください。
辛さや苦しみに寄り添い、優しい言葉をかけてあげてください。
お子さまが安心して毎日を過ごせるよう、温かく見守ってあげてください。
「子どもに笑顔でいてほしい、幸せでいてほしい」と願う気持ちは、どの保護者さまも同じだと思います。
その優しい願いを大切にしながらお子さまと接すれば、想いはきっと伝わります。
皆様のご家庭に少しでも明るい光が差し込みますように、陰ながら応援しております。
