不登校

不登校でも大丈夫!中学で不登校になった場合の進路選びについて、経験者が自身の体験をもとに解説します

yuki-yoshida

中学で不登校を経験した場合の一番大きな壁は「その後の進路をどうするのか」だと思います。

「これからどうなるのか不安でいっぱい」
「どんな進路がうちの子に合っているのかわからない」

そんなふうに悩む保護者の方も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、中学2年生で不登校を経験した私が歩んできた進路についてまとめてみました。

記事の後半では、その体験を踏まえたうえでの「進路選びのポイント」も紹介しています。

お子さまの進路に迷われている方や将来への不安を感じている方は、ぜひご覧ください。

運営者の“不登校のその後”

この章では、僭越ながら、私の不登校後の進路状況を紹介させていただきます。

あくまでも一個人の事例となりますが、少しでも参考になる部分があれば幸いです。

別室登校

私が不登校になったのは、中学2年生の2月でした。

それから卒業までの約1年間は、学内にある「支援室」という部屋に週2回ほど通っていました。いわゆる「別室登校」と呼ばれるものです。

支援室は、不登校の生徒や教室に行きづらい生徒が集う場所で、スクールカウンセラーの先生がサポートをおこなっていました。

当時は私一人しか利用生徒がいなかったので、カウンセラーの先生とお茶を飲んだり、パズルをしたりしながらのんびり過ごすことが多かったです。

ただ、ずっと支援室にいたわけではなく、体調が良い時は教室に行ったり、行事に出席したりすることもありました※①

卒業間際はほぼ毎日教室に行っていたので、今思えばあまり“不登校らしくない不登校生徒”だったと思います。

※①:両親や学校の先生に「(教室や行事に)行ってほしいな」と言われることが多かったので、仕方なく行っていました……。

二度の高校退学

高校は、私立の全日制高校へ進学しました。全日制高校を選んだのは、ほかにどんな選択肢がわからなかったから※②です。

しかし、体調不良や人間関係に対するストレスを拭えず、わずか2か月で不登校に逆戻り。

年度末に退学し、小学校時代の友人から情報をもらった通信制高校へ編入学しました。

しかし、周囲と違う道を歩むことになったコンプレックスが強く、体調不良を助長させてしまい、ほとんど通うことができませんでした。

おそらく、在学中の2年間で通学した回数は20回にも満たないと思います。結局、こちらの学校も後に退学しました。

ただ、体調不良や不登校に理解がある先生方が多かったので、その点は安心感が強かったです。

※②:両親も学校の先生も、そのような情報を何ひとつ教えてくれなかった(調べることすらしてくれなかった)ためです。

高校卒業程度認定試験

その後、母から教えてもらった高校卒業程度認定試験(高卒認定)を受験しました。

「大学受験をする・しないに関わらず、とりあえず高卒の資格くらいは持っておきたい」と思ったからです。

高卒認定は16歳以上の人なら誰でも受験可能で、合格すると「高校卒業と同程度の学力がある」と見なされ、大学や専門学校などの受験が可能になります。

試験は全国各地の会場で年2回開催。中3~高1レベルの基礎知識が出題され、もし不合格になったとしても何度でも再挑戦ができるので安心です。

すべてマーク式の試験で4割程度取れれば合格できたので、当時偏差値40程度だった私でも挑戦しやすく、初受験で合格できました。

高卒認定専門の予備校もあるようですが、過去問や関連書籍は書店で手に入るので、個人的には独学で十分だったかなと思います。

大学受験

高卒認定の受験と並行しながら、大学も受験しました。

特に行きたい大学があったわけではなかったですし、そもそも当時は進学する気力すらありませんでした。

しかし、地元の学習塾に在籍していたため、周りに流されるようにして1校だけ受験したのです。

結果はもちろん不合格。その大学に落ちたのは塾内で私だけだったので、めちゃくちゃ悲しかったです……。

その後、両親や塾の先生には他の大学も受験するよう勧められましたが、無理やり大学受験をした私に残されたエネルギーは皆無だったので、どこも受けませんでした。

それから私は「“浪人生”の仮面を被ったひきこもり」となり、どこにも属しない空白期間を過ごすことになりました。

1年間の空白期間

「もう一度大学受験したら?」
「行きたい大学がないなら短大や専門学校に行ってみたら?」

母や親戚、病院の先生は、いろいろなことを提案してきました。

しかしやはり、退学経験のトラウマや、いつまでも良くならない体調不良への不安感が強く、どうしても一歩を踏み出すことができませんでした。

何もできない。未来が怖い。これから私はどうなるんだろう……。

そんなことを考えながら、真っ暗な自室で涙を流す毎日でした。

しかし、11月くらいに「今のままではマズイ」と思い、家から一番近かった短大の受験を決意。

「行動することで1%でも変われる可能性があるのなら、その可能性に賭けたいー。」
そう思いました。

そして簡単な小論文試験と面接を受け、あっさりと短大への入学が決まりました。

目標を見つける

せっかく入学した短大ですが、やはり心身の状態が不安定すぎて、わずか1日で不登校になりました。

自己嫌悪から体調も悪化し、今振り返ると若干「うつ病」ぽかったのかなと思います。

人生で一番苦しく、不安と恐怖に押しつぶされそうな毎日を過ごしていました。

そんなある日、何気なくテレビを観ていたら、フリースクールに密着したドキュメントが放送されていたのです。

そこで初めて、私のように生きづらさを抱えている子どもが大勢いることや、そのような子どもをサポートする生き方があることを知りました。

そして、こう思ったのです。

  • 学校教育や今の日本の教育について、専門的に学んでみたい!
  • いつか私も、生きづらさを抱える子どもたちをサポートできる大人になりたい!

この決意は、私の人生を大きく変えました。

通信課程から通学課程へ

短大を退学した後は、京都府にある佛教大学の教育学部(通信課程)へ再入学しました。

通信課程を選んだのは、毎日大学へ通う自信がなかったからです。

しかし「もし体調が回復したら通学課程に行ってみたい」という思いもあったため、まずは3年次の転籍試験を目標に頑張ることにしました。

明確な目標が見つかったことや、通信課程での学びが性に合っていたことなどがプラスに働いたようで、体調不良はかなり改善されました。

アルバイトや大学の課外活動を始める余裕も出てきて、今までとは違う充実した毎日を送れるように!

その後「転籍試験を受ける」という目標も叶えることができ、3年次からは念願の通学生活をスタートさせることができました。

この時の私は22歳。同級生とは2年遅れの進級で、はじめて不登校を経験してから8年もの歳月が流れていました。

8年ぶりの通学生活

通学課程での生活は、しんどいこともたくさんありました。

私の場合はほぼ8年ぶりの通学生活だったので、とにかく体力の消耗が激しくて、授業を欠席・遅刻してしまうことも多かったです。

しかし、先生や同期の仲間がとにかく優して、さまざまな面でサポートをしてくれたおかげで無事に通学・卒業することができました。

あれ??わたし、ついこの前まで不登校で悩んでたのに、なんか知らん間に大学生になって、知らん間に卒業してたな……。

当時の私の心境は、そんな感じでした。まさかこんな日が来るとは夢にも藻わなかったので、卒業証書を手にした時はとても感慨深くて嬉しかったです。

大学院へ進学

大学卒業後は大学院へ進学しました。

進学を決めた理由はいろいろあったのですが、一番大きな決定打になったのは「就職して働く自信がなかったから」ということでした。

一時期に比べればかなり元気を取り戻せたものの、体調が不安定で疲れやすい部分は変わらず残っていたんですよね。

そのため「将来を考えるための猶予期間」として、比較的自由が利く“学生”でいることを選びました。

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うつ病による休学

しかし、院進学から1年後に予期せぬ出来事が起きてしまいます。うつ病の発症です。

まさかこの年齢(25歳)で新たな“生きづらさ”と向き合うことになるとは思っていなかったので、すごくショックでした。

その後、1年間の休学を経てなんとか修了(卒業)することになるのですが、うつ病を患ったことでさらに「就職」が遠のいてしまいました。

そのため、大学院修了後は「どこにも属しない」ことに決め、体調を整えながら自身の将来とじっくり向き合う時間を作ることにしました。

生き方・働き方の模索

就労支援事業所を退所してからは、クラウドソーシング※③を利用してお小遣いを稼ぎながら、自分の将来をより深く考えました。

  • どんな仕事をすれば、体調に負担なくスムーズに働けるのか?
  • どんな生き方をすれば、毎日を楽しく幸せに過ごせるのか?
  • どんなことをして、誰に対して社会貢献していきたいか?

それらについて考えを深めるうちに「絶対に譲れない条件」が4つ見つかりました。

  • 在宅で作業ができて、人との関わりを最小限に抑えられる仕事がしたい
  • 勤務時間や休日を自分で調整できる仕事がしたい
  • 自身の生きづらさ経験をもとに、同じ悩みを持つ方に光を与えたい
  • 大好きな“文章”を通じて社会貢献をしたい

この条件を軸に人生構築をおこなうことを決意。パソコンを駆使し、いろいろな求人情報を手当たり次第探してみることにしました。

※③:在宅でできる簡単なお仕事を探せるプラットホームです。私は主にWEBライターの仕事をおこなっていました。詳しくはこちらの記事をどうぞ。

「たんぽぽの栞」のはじまり

しかし、私が考える条件に当てはまる仕事はありませんでした。

そこで思いついたのが「仕事がないなら自分で作る=起業する」という考えです。

もともと一人で物事を考えたり、行動したりすることは得意だったので、起業への興味は強くありました。

「私は会社勤めよりもフリーランスの方が合っている」というのも肌感覚でわかっていたので、今思えば10代の頃から起業に憧れを持っていたように思います。

そのため、2024年6月末に「たんぽぽの栞」という個人事業を立ち上げ、この事業に自分の人生を捧げる覚悟を決めました。

まだ事業は始まったばかりですが、同じような悩みを抱える方々を救うべく、これからも一生懸命頑張っていきたいです。

進路選びのポイント

この章では、第1章の体験談を踏まえながら「不登校になった場合の進路選びのポイント」を紹介したいと思います。

さまざまな壁にぶつかった私だからこそお話できることをたっぷりと詰め込みました。

ピンときた項目があれば、ぜひ参考にしてみてくださいね。

子どもの気持ちを最優先に考える

1つ目は、子どもの気持ちを最優先に考えることです。

私が三度もの退学を経験した一番の理由は「周りの目を気にして無理をしてしまったから」です。

本当は学校に行きたくなかったのに、両親を安心させたい気持ちや“ふつう”でいたい気持ちから、本心を押し殺してしまったのです。

不登校に対する社会の偏見は未だに強いですし、周りから傷つけられたり、嫌なことを言われたりすることも少なくありません。

そのことを恐れて、できるだけ“ふつう”の選択をしたいと思う気持ちは、お子さまにも保護者の方にもあると思います。

しかし、お子さまの人生は、お子さまが幸せになるためにあるものです。周りを納得させて“良い人”を演じるためにあるものではありません。

可能な範囲でお子さまの希望に沿う道を選び、お子さまがやってみたいことやらせてあげるのが一番だと思います。

合わなかったらやめる

2つ目は、進路が合わない場合はスパッとやめるということです。

たくさん悩んで決めた進路であっても、いざ行動に移すと「思ってたのと違う……」と感じることは多々あると思います。

そんな時は、なるべく早くその環境から離れた方が良いです。

全日制高校で二度目の不登校になった時、退学の決断をするまで約半年かかりました。

やめたい気持ちはずっとあったのですが、「無所属」になることへの恐怖や両親に対する申し訳なさが強く、ずっと決断できずにいたのです。

しかし、モヤモヤした状態で日々を過ごすのは心を疲弊させるだけで、何も良いことはありあせん。

私たち人間は、数々の“トライアンドエラー”を繰り返しながら成長していくものだと思います。

「絶対にこの決断を失敗させてはならない」という思いすぎず、お子さまの体と心を大事にする選択をしてほしいです。

学校や居場所にとらわれない

4つ目は、学校やフリースクールをはじめとした、さまざまな“居場所”にとらわれないということです。

  • どこか別の学校に転校・編入した方がいいのかな?
  • フリースクールやフリースペースを探すべきなのかな?

お子さまが不登校になった時、上記のようなことを考える保護者の方は多いと思います。

しかし、学校や居場所に属することだけが「進路」ではありません。子どもの進路や生き方は、それ以外にもたくさんあります。

進路とは本来、子どもが笑顔で、幸せに過ごせる生き方を選ぶことだと思います。

「どこかに属すること」にとらわれすぎず、お子さまが笑顔でいられる生き方を一緒に考えてあげてほしいと思います。

とにかく情報を集める

5つ目は、とにかく情報を集めることです。

私の心がなかなか前向きになれなかったのは、進路や選択肢に関する情報がまったく得られず、将来の見通しが立たなかったからです。

おそらく、何かしらの情報を得て「不登校でも大丈夫かも?」という気持ちになれれば、もう少し気楽に毎日を過ごすことができていたと思います。

今はとても便利な時代なので、ネット検索や書籍、SNSなど、いろんな媒体を使って手軽に情報をゲットすることができます。

いろんな手段を使って、できるだけ多くの情報を集めてみてください。

ハンデは「人生の糧」になる

6つ目は、ハンデは「人生の糧」になるということです。

不登校のお子さまの中には、同級生と同じタイミングで学校を卒業したり、就職したりすることが難しい方も少なくないと思います。

私も、大学卒業時は同級生と2年のハンデがありましたし、大学院修了時に至っては、うつ病で休学したため3年のハンデがありました。

最初の頃はそのことがすごくコンプレックスで、大学の先生や友人に嘘の年齢を伝えていた時期もありました。

しかし、卒業する時期が遅れたからこそ出会えた人、得られたものも多くあり、それらの経験は私にたくさんの幸せを与えてくれました。

だから今は、自身の経験をプラスに捉えていますし、むしろこの経験ができたことに感謝しています。

どんな経験も、いつか必ず人生の糧になります。慌てず、焦らず、ゆっくりと光を見つけてほしいな思います。

「何もしない 」のもひとつの選択肢

何もしたくない場合や体調に自信がない場合は、無理に前へ進む必要はないと思います。

一番大切なのは、お子さまのタイミングで、お子さまに合う進路や生き方を選ぶことです。

その生き方を見つけるために、少し立ち止まって色々なことを見たり、考えたりするのもひとつの選択肢なのではないでしょうか。

学ぶことや働くことに、年齢制限はありません。

私が目標を見つけて大学に入学した時のように「やろう!頑張ろう!」と心から思えた時が、行動を起こす一番のタイミングだと思います。

世間体や周囲の目に左右されすぎず、お子さまのペースを大事にしながら一歩ずつ進んでいってくださいね。

まとめ

本記事では、中学で不登校になった場合の進路について、私の経験および経験から導き出した「進路選びのポイント」を紹介させていただきました。

不登校のお子さまに限った話ではないですが、人生の歩みや生き方は人それぞれです。

100人いれば100通りの生き方がありますし、それらに正解・不正解はありません。

常識や“正しさ”を追い求めるのではなく、お子さまが自分らしく、幸せに過ごせる生き方を選択するのが一番だと思います。

すべてのお子さまが笑顔で、自身をもって歩める道を見つけることができますように……。

ABOUT ME
ゆき
ゆき
生きづらさマイスター
1996年生まれ。佛教大学大学院・社会学専攻社会学研究科(修士課程)修了。自身のさまざまな生きづらさ体験をもとに、ブログやSNSの発信活動や講演活動などをおこなっています。
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