うつ病・パニック障害・HSPの私の仕事歴|初めてのアルバイトから起業するまでの体験談
うつ病、パニック障害、社交不安、不登校、ひきこもり、HSP、自律神経失調症……。
小さな頃からさまざまな生きづらさに悩まされてきた私にとって「働くこと」はとてもハードルが高いことでした。
仕事はしたい。しなければいけない。
でも体調的に続けられるかわからないし、ほかの従業員とうまく関われる自信もない。
そもそもこんな自分に合う仕事って、この世の中にあるんだろうか……。
そんなことをグルグル考え続けながら、いろんな仕事に手を出し、いろんな仕事に落ち、いろんな仕事を辞めました。笑
しかし、28歳の時にようやく「自分が生涯続けたい・続けられそうな仕事」を“起業”という形で見つけることができ、かなり心が楽になりました。
そこで今回は、私のこれまでのアルバイト・仕事遍歴と、個人事業を立ち上げた過程についてまとめました。
これからの人生や働き方を考える上で、すこしでも参考になる部分があれば幸いです。
- HSPや自律神経失調症があり、なかなか仕事が続かない
- ひきこもり状態が長く、どんな働き方が合っているのかわからない
- 同じような経験をした人の体験談を参考にしたい
10代から大学卒業まで

この章では、10代から大学卒業までのアルバイト・仕事遍歴をまとめました。
接客業から学内アルバイトまで、幅広いジャンルのお仕事を経験しました!
TOEICの試験官・受付
私が初めてアルバイトをおこなったのは、19歳の時(大学入学直後)でした。
母親の友人からの紹介で、TOEICの単発バイトをやることになったのです。

バイトをしてみたいけど、自分から求人に応募する自信はないし、いきなり長期はしんどそう………。
と悩んでいたところだったので、ちょうど良いタイミングでした。
仕事内容は、
- 受験票の確認
- 試験中の見回り
- 問題用紙の配布・回収
など、簡単かつ人との関わりが少ない作業が多く、アルバイト初心者の私でもスムーズに働くことができました。
こちらのアルバイトは5回ほど行きましたが、1回あたり4時間程度の短時間勤務で、体調に負担なく働けたのも良かったです。
おそらく、人生初のバイトが散々だったら、かなりのトラウマになっていたと思います……。

私が行った時は、たまたま不登校やひきこもり当事者の方が多く、メンタル的にもすごく楽でした。
地元の個人経営パン屋さん
その後、大学に進学し、また母親の友人(Aさん)から紹介してもらった地元のパン屋さんでアルバイトをすることになりました。
Aさんの娘さんは専門学校の学生で、そのパン屋で「作り手」のバイトをしていました。
しかし、専門学校を卒業して就職することになったため、空いた枠に入らないかと声をかけてくれたのです。
娘さんは学業優先だったので、バイトに入っていたのは週1日から10日に一度ペース(しかも短時間勤務)だったとのこと。

そのペースなら私でも無理なく働けそうだし、作り手だったら人との関わりも最小限に抑えられそう!
と思って喜んで面接に行きましたが、いざ面接に行ってみると,

今、接客する人が足りなくて。できればレジ打ちや商品陳列の仕事をしてほしいんだよね~。
と言われてしまいました(笑)
本当はお断りしたかったのですが、人からの紹介だったので後に引けず、泣く泣く接客業をやることになりました。
最初の1年くらいはあまりにも接客業が苦痛すぎて、バイト前になると、
- 過呼吸を起こす
- 微熱を出す
- 吐き気がしてご飯が食べられなくなる
というような、自律神経失調症と思われる症状が毎回のように出ていました、
バイトが始まると徐々に落ち着ついていきましたが、どうしてもバイトに行けない時もあり……。
バイト時間ギリギリに欠席の連絡を入れ、迷惑をかけてしまうことも少なくありませんでした。
しかし、回数を重ねるうちに段々と慣れてきて、最終的には、

接客楽しい!レジ打ち楽しい!
と思えるようになり、めちゃくちゃ積極的にバイトに入ってました(今はもう絶対にやりたくないですが……)。
従業員の方もお客さんも穏やかで優しい方ばかりだったので、慣れるとすごく働きやすい職場でした。

それでもやはり、体調の不安定さは消えず、勤務ペースは「1日4時間・週3日」が限界でした。
そのため、トータルで3年半ほど働いたにもかかわらず、最後の最後まで“アウェー感”が消えなくてとてもしんどかった思い出があります……。

他の学生アルバイトたちは週4~5回、1日6~8時間は平気で働いていましたからね……。
いろんなアルバイトに落ちる
パン屋さんの“アウェー感”がいつまでも消えないことに嫌悪感を抱いていた私は、一時期、他のアルバイトを探していました。
- もし居心地の良いバイト先が見つかれば、そっちに乗り換えよう
そう思っていたのです。
それで、自宅近くのイタリアンレストランと本屋さんに応募したのですが、どちらも面接で落とされました。
特にレストランの方は、履歴書を出した時に明らかに嫌そうな顔をされたので、すごくショックでした。

そりゃあ、退学歴が複数あって、2年遅れで大学に入った人なんて雇いたくないですよね……。

その後、当時の友人(小学校の同級生)にバイトのことを話すと「私のバイト先に来る?」と誘ってくれました。それが蕎麦屋さんです。
蕎麦屋での接客業
面接をしてくれた店長さんはすごく優しい人だったので、私の経歴や現状は、面接時に全て伝えました。
友人からの紹介だったことも影響したのかもしれませんが、嫌な顔ひとつせずに、

頑張って大学入って、バイトもできるようになって良かったね。
と言ってもらうことができ、すごく嬉しかったです。その後すぐに採用してもらえました。
体調不良でやむを得ずバイトを休んだ時もありましたが、

無理しないでね。クリニックの先生にも、次の診察でバイト話をして相談してみてね。
と言ってこちらの体調まで心配してくださる、本当に優しい店長さんでした。

しかし、その優しい店長さんは、私が働き始めて1か月も経たないうちに他店舗へ異動に……。
新たに来た店長さんは、どこか取っ付きづらい雰囲気の人で、会話はほとんどありませんでした。
その後、お局のおばちゃんとその手下(?)みたいな従業員たちに過度な嫌がらせをされて、わずか1か月足らずで辞めました。
今思えば「蕎麦屋」は、さまざまな生きづらさを抱えた私が選ぶべき職場ではなかったと思います。
こちらの記事(↓)にも書いたように、もう少し仕事や環境を選べば良かったと後悔しました。


その後、他のバイトを探すことは辞めて、パン屋さんに専念することにしたのでした。
学内アルバイト(ノートテイク)
大学4年生の春学期は、学内アルバイトの「ノートテイク」というお仕事をやっていました。
大学院の準備が忙しくなってパン屋さんを辞めたので、空き時間で気軽にできるバイトをやることにしたのです。
- 聴覚障がいを持つ学生と一緒に授業を受け、先生が喋ったことをひたすらノートに書くという、いわゆる文字起こしの仕事です。
聴覚障害を持つ方と触れ合うのはこの時がはじめてだったので、色んな驚きや発見があり、良い経験になりました。
自分の授業の前後に作業ができたので体調の負担も少なく、通い慣れている場所でストレスなく仕事ができて嬉しかったです。

福祉系の授業を担当していたので、私個人としても大変良い勉強をさせてもらいました!
旅行会社の事務(データ入力)
大学4回生の秋学期は、旅行会社の事務仕事(データ入力)をやっていました。
その会社は、同じゼミの同期が働いていた職場だったのですが、

人手不足だから、もし良かったら来てほしい!
と頼まれて、10日に一度のペースで行ってました。
- 通学途中にある(定期券の範囲内)
- 最寄駅から近い
- 私服OK
- 一人で黙々と作業ができる
- 人間関係が良好で過ごしやすい
- 「週3回以上来てね」みたいな縛りがない
今まで経験したバイトの中で、一番私の性格や特性とマッチしていた職場だったと思います。
そのため、普段は4時間勤務だったのですが、一度だけ6時間勤務に挑戦してみたことがありました。

この職場だったら、長時間働いてもしんどくならないかも!
と思ったのです。
しかし、やっぱり、途中で体調が悪くなってしまい……自分の体調の不安定さを改めて実感しました。
この頃には大学院への進学が決まっていたとはいえ、
- 「大学院修了後、私は本当に一社会人として働いていけるのだろうか……」
と、今まで以上に不安になりました。
当時の上司の方は「大学院に入っても引き続き働いてほしい」と言ってくれていて、私もそうするつもりでした。
しかし、体調を崩したことがひどくトラウマになっていたので、辞めたい気持ちもかなりありました。

そんな時、コロナが日本にやってきて、旅行会社は休業に追い込まれました。
私たちアルバイトも「しばらくは自宅待機で」と言われましたが、それから連絡が来ることはなく……。

まさかすぎる展開でしたが、ある意味、自然に辞めるきっかけができて良かったのかなと思っています。
大学卒業後から就労支援まで

この章では、大学卒業後(24歳)から就労支援(27歳)までのアルバイト・仕事遍歴をまとめました。
クラウドソーシングでのWEBライターやなど、生きづらさがあっても挑戦しやすい仕事をたくさん経験しました!
いろんなバイトに落ちまくる
私は2020年の春に大学院へ入学したのですが、コロナ禍やうつ病発症などの理由により、旅行会社を最後にアルバイトをしていませんでした。
しかし、2022年頃にはコロナ禍が少し落ち着き、うつ病で休学していた大学院への復学も決まったため、久しぶりにアルバイトをやることにしました。

本当はまだバイトができる病状ではなかったのですが、「26歳・職なし」という自分が受け入れられず、かなり無理をしました……。
しかし、
- 26歳大学院生
- 高校と短大の退学歴あり
- 社会人経験なし
という肩書を持つ人間を受け入れてくれる企業は、どこにもありませんでした。
在宅バイトや単発バイトなど、いろんな求人に応募しましたが、全て不採用に……。
不登校体験を生かせる教育系の在宅バイトすらも落とされ、めちゃくちゃ落ち込みました。

ハードルが比較的低い「ポスティング」も不採用になり、すごく悲しかったです。
「やっぱり私は社会にとっての“お荷物”なんだ……」とネガティブになっていましたが、そんな私採用してくれた会社が1つだけありました。
高齢者施設での配達業務
「社会のお荷物」だった私を唯一採用してくれたのは、高齢者施設です。
車を運転し、高齢者の自宅にお弁当を届ける配達のお仕事をすることになりました。
- 一人で黙々と働ける
- 服装が自由
- 週1から、短時間勤務OK
- 車通勤OK
という、うつ病発症によってパニック障害や社交不安、HSPの気質が強まった私にとってありがたすぎる職場でした。


配達の仕事はとても楽しかったです。
お弁当を渡した高齢者の方から「ありがとう」と言われる度に、

こんな私でも社会の役に立てるんだ……!
と嬉しくなりましたし、自己肯定感も上がりました。
うつ病発症以降、直接的な人との関わりはほぼゼロだったので、仕事を通じて家族以外の人と交流できる時間は、今思えばとても貴重でありがたかったです。
しかし、研修期間が終わって一人で配達するようになってから、立て続けに色んなトラブルが起きました。
- 他の配達員や施設スタッフに嫌味を言われる
- 初心者にはこなせないほどの多くの仕事を押し付けられる
- 狭い道を指定されて事故を起こす(配達先のお家の壁に車をぶつけました……)
それで体調を崩し、うつ症状がひどくなってきたため、限界を感じて辞めました。
ちょうどこの頃、当時通っていた行政カウンセリングを理不尽に切られて大学院も通えなくなってしまったので、とてもバイトを続けることはできない状態でした。
今思えば、こちらも蕎麦屋のバイトと同じで、生きづらさを抱える人間が行くような場所ではなかったように思います(笑)
採用されたことは本当に嬉しかったですが、あまりにも辛すぎて、

もう一生アルバイトはしない!!
と心に誓いました……。
在宅仕事しか無理なのでは?
お弁当配達のアルバイトを経験して感じたのは、
- 「私は外で働くことができない・向いていない人間なのだ」
ということです。
人と関わることが苦手で、繊細で、傷つきやすくて、長時間外に出るとすぐに体調を崩してしまう……。
そんな特性を持つ私が、普通の人たちのように外で長時間働くことは、ほぼ不可能なのではないかと気づきました。

本当は、もっと早く気づくべきでした。
特に、うつ病を患ってからはその傾向がより色濃く出るようになったので「もう私は在宅仕事しか無理だろうな」と思うようになりました。
WEBライター(クラウドソーシング)
大学院を修了した後は、進学も就職もせず、自身の体調を整えながら今後の生き方を模索することにしました。
その時にやっていたのが、クラウドソーシングで見つけたWEBライターのお仕事でした。
- ネットを介して仕事を依頼できたり、引き受けたりすることができるビジネス形態のことです。
- 気になる仕事を見つけて応募し、依頼者側とのマッチングが成立したら作業をおこない、報酬を受け取れる仕組みになっています。
クラウドソーシングの仕事は、単価があまり高くありません。

私がやっていたWEBライターの仕事も、時給換算で300~800円くらいでした。
しかし、自宅にいながら体調に考慮してできるお仕事は、いろんな生きづらさがある私にとって本当にありがたかったです。
何より、自分の好きなこと(文章を書くこと)でお金を稼げたことがすごく嬉しかったです!

就労支援事業所へ行く
その後、クラウドソーシングの仕事と並行しながら、就労支援事業所にも通うようになりました。
- 身体障害や精神障害などを持ち、一般企業への就職が困難な方が利用できる福祉施設です。
- 週1回・2~3時間から働ける施設がほとんどで、自分のペースで通えます。
- 1時間あたり200円~1,000円ほどのお給料(工賃)がもらえます。
- 事業所によっては在宅利用ができる場合もあり、体調に合った働き方ができます。
私が事業所を利用したのは、専門知識があるスタッフさんのサポートを得ながら、今後の生き方を模索したり、体調を整えたりしたかったからです。
そのため、在宅利用ができる事業所に籍を置き、自分にふさわしい仕事や働き方を考えてみようと思いました。

しかし体調面や対人面でのストレスが大きく、わずか1か月ほどで辞めることに……。
嫌な経験をたくさんして心の傷が増えてしまいましたが、いろんな学びや気づきがあり、良い勉強になりました。

就労支援のことは、また改めて詳しく記事にしたいと思います。
起業を決めてから現在まで

この章では、起業を決意してから事業を立ち上げるまでのエピソードをまとめました。
「個人事業主」として生きる現在の“リアル”についてもお話しています。
一人で仕事がしたい!
就労支援をやめる時に実感したことは、
- 私は、誰かと共同で作業をしたり、誰かのサポートを受けて作業をしたりすることが絶望的に向いてない
ということでした。

正直これは、小学生の頃からずっと感じていました。
私は、人よりも繊細かつ敏感な性質を持っているため、
- ここを変えたら、もっと良い記事(作品)になるのに
- こういう順序で作業をすれば、もっと効率よくできるのに
- こういう言い回しの方が、相手の心を傷つけずに済むのに
というようなことを、自分の意思とは関係なく瞬時に察してしまいます。
それらを上司や仕事仲間に指摘できる勇気があれば良いですが、当時の私にはそんな度胸はありませんでした。
そのため、たとえ対面であれ、メールであれ、他人のちょっとした言動にイラっとしたり、傷ついたりすることがあまりにも多すぎたのです。


そしてそれが、自身の体調不良やコンディションの低下に繋がることも少なくありませんでした。
このような私の特性は、不登校・ひきこもりになる前から十分わかっていたことでしたが、正直そこまで重く受け止めていませんでした。
- そりゃこんだけ繊細で敏感なら、対人ストレスが多くて当然よな~
くらいにしか思っていなかったのです(笑)
しかし、将来を真剣に考えるようになり、改めて、
- 私は、誰とも関わらずに一人で自由に生きた方が幸せになれるのでは……?
ということを強く実感せざるを得ませんでした。

一人で自由に、誰にも縛られずに仕事がしたい……。

じゃあ起業してフリーランスになる?でもそれってめっちゃハードル高くない?

けどよく考えたら、ストレスなく働くためには起業するのが一番かも……?
次第に私は、そんなことを考えるようになりました。2023年、27歳の夏頃の話です。

将来を真剣に考え始める
就労支援を辞めて「起業」を視野に入れるようになったものの、すぐに行動を起こす勇気はありませんでした。
むしろ時間が経つにつれて、
- やっぱり起業なんて難しいし、大変そうだし、私には無理じゃない?
という気持ちが強くなっていったので、引き続きWEBライターの仕事を淡々とこなしていました。

しかし当然ながら、月5万円にも満たないライターの稼ぎだけで生活していくことは不可能です。
両親のサポートも永遠に続くわけではありませんし、いずれは自分の稼ぎだけで生活できる基盤を整える必要があります。
そのため、
- 30歳までに、経済的自立をすること
を目標に掲げ、その目標の実現に向けて「どんな仕事ができるか・していきたいか」を改めて考えてみることにしました。
- 体調に負担なくできる仕事(ほぼ完全在宅)
- 「文章を書くこと」をメイン作業にできる仕事
- 休日や勤務時間などを自分で調整できる仕事
- 自身の生きづらさ体験を活かすことができる仕事
私の中で絶対に譲れない条件は上記の4つでしたが、4つの条件を満たせる仕事の求人情報はひとつもありませんでした。

障害者雇用もいろいろ調べたり、問い合わせたりしましたが、自分の条件に合う仕事は全然なかったです。
たまに「これならできるかも?」という仕事に応募したこともありました。
しかし“社会人経験なしの27歳”という経歴が邪魔をし、すべて不採用でした。
- やっぱり私は社会不適合者だし、こんな私に生きる価値なんてないんだ……。
そう思い、人生に限界を感じて投げやりな気分になっていたのですが、ある時ふと、起業のことを思い出しました。
- 自分に合う仕事がないんなら、自分で事業を立ち上げて、自分に合う仕事を作ればいいんじゃないの?
我ながら、発想が大胆すぎて、そして気持ちの切り替えが早すぎてビビります。
いったいどこにそんな底力があるのか、自分でもよくわかりません……(笑)

たんぽぽの栞の活動を始める
そんなこんなで、2024年の1月末から準備を始め、6月に「たんぽぽの栞」という個人事業を立ち上げました。

ちなみに、起業準備はすべて一人でおこないました。
小さな頃から「本を出したい」という夢を抱いていたこともあり、事業をスタートさせた当初は、
- ブログの運営(広告収入など)
- 書籍の出版
この2つを軸に、完全在宅の仕事のみでお金を稼いでいく予定でした。
しかし、事業を立ち上げてから、さまざまなご縁にめぐり会い、講演講師やイベント活動などもやらせていただくようになりました。
想像していなかった形で事業の幅が広がっていて、感謝の気持ちでいっぱいです。

正直な話をすると、現時点(2026年7月)での稼ぎはほぼゼロに近く、事業としてはかなりの大赤字です。
けれど今の私は、これまでの人生で一番充実した時間を過ごしていると思いますし、すごく幸せです。
嫌なことやしんどいこともたくさんありますが、私にはこの道しかないので、これからもマイペースに頑張りたいと思います。

まとめ:可能性は無限大!

今回は、うつ病やパニック障害、HSPなどの生きづらさを抱える私の仕事遍歴についてまとめました。
これまで、いろいろ企業から「不採用」を言い渡されたり、対人トラブルが多数あったりして、社会に馴染めない悲しさを嘆く毎日でした。
しかし現在は、講演やイベント活動で出会った方々から、
- ゆきさんの存在は私たちの希望
- ゆきさんの言葉を待っている人のために、これからもたくさん発信活動をしてほしい
ということを、いろんな方々から言っていただけるようになり、本当に嬉しく思います。
誰にでも、自分にふさわしい社会での闘い方(働き方)があるはずです。
それを上手に見つけ、行動に移すだけで、可能性は無限に広がると感じます。
皆さんもぜひ、ゆっくりペースで大丈夫なので、ご自身に合う“社会での闘い方”について考えてみてください。
私もまだまだ駆け出しの身ですが、これからも体調第一に、自分も周りも笑顔になれる活動を続けていきたいと思います。


